「自由の意識における進歩」としての理念の次元における人類と国家の発展の構図、ヘーゲル歴史哲学の整合的な解釈①

前回書いたように、ヘーゲルの歴史哲学において示されている古代オリエントから近代ヨーロッパへと段階を追って国家のあり方が段階的に進化していき、その進展の各段階において人間の自由が拡大されていくという人類史における発展の構図は、

一見すると、現実における歴史の流れからは乖離(かいり)したヨーロッパ中心主義的、さらには、自民族中心主義(エスノセントリズム)的な思考であるとも解釈されうると考えられることになります。

それでは、こうした現実の世界における歴史の流れヘーゲルの歴史哲学が示す人類史の発展の構図との間に生じている乖離や差異について、

それを矛盾することなく説明するためには、具体的にどのような形での整合的な解釈が考えられることになるのでしょうか?

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「自由の意識における進歩」としての人類史の発展の構図と、青年期から壮年期を経て老年期へと至る人間の心理的な発達段階の構図の比較

そうすると、

ヘーゲルの歴史哲学における国家の弁証法的な発展の歴史の記事でも取り上げたように、ヘーゲルの歴史哲学の思想が語られている書物である『歴史哲学講義』の中の一節では、

東洋ではただ一人の人間だけが自由であり、…我々ゲルマンの世界ではすべての人間がそれ自身として自由である」

というヘーゲルの発展的歴史観を象徴する言葉が語られていますが、上記の『歴史哲学講義』における記述の直前に書かれている

「世界史は自由の意識における進歩である」

という言葉に、まずは、そうした整合的な解釈の手がかりを見いだすことができると考えられることになります。

上記の『歴史哲学講義』の記述においては、古代オリエントから近代ヨーロッパへと進展していく人類史の発展の構図は、

自由の意識における進歩、すなわち、人間の意識の内にある理念の側の進歩を意味するということが語られていると考えられることになりますが、

例えば、

「人間」という存在について、その存在を概念や理念の次元において捉えるとすると、

それは、子供から大人へ、あるいは、青年期から壮年期を経て老年期へと段階を追って発達あるいは発展していく存在であると捉えられることになります。

その一方で、

同じ「人間」という存在について、その存在を現実の個々の人間の次元において捉えるとすると、

そうした現実における個々の人間は、必ずしも青年期から老年期へとそれぞれの発達段階における課題を次々にクリアして常に新たな段階へと順調に進んで行くわけではなく

壮年期の人であっても、人生の困難に遭って、青年期のときにはすでに見いだしていたはずの人生の目的や自らのアイデンティティの確立を見失ってしまうこともあれば、老年期にあっても、青年期のときに見られるような希望や新しいことを始める意欲的な姿勢を常に失わずにいる人もいると考えられることになります。

つまり、

概念や理念の次元においては、青年期から壮年期を経て老年期へと至る人間の心理的な発達段階の構図を示すことができるとしても、

現実の世界における個々の人間は、ある時には壮年期における代表的な性質を青年期においてすでに発揮してしまうこともあれば、老年期になって改めて青年期における課題に改めて向かう必要に迫られることもあるというように、

同じ人間であっても、現実における一人一人の人間は、そうした理念的な発達の構図の各段階を行ったり来たり行きつ戻りつしながら自らの人生の歩みを進めていくことになるので、

そうした現実の世界における個別的な人間の次元においては、人間の心理的な発達は必ずしも理念的な次元における発達の構図通りには進展していくものではないと考えられることになるのです。

そして、こうしたことと同様に、

確かに、ヘーゲルの歴史哲学においては、古代オリエントにおける専制国家から近代ヨーロッパにおける民主主義国家へと段階を追って進展していくという人類の自由の拡大の歴史としての人類史の発展の構図が示されているのですが、

それは、あくまで、自由の意識における進歩、すなわち、人間の意識の内にある理念の側の進歩の歴史を意味するであって、

必ずしも、現実の世界における国家における政治体制の変化のあり方が、そうした理念の側の理想的な発展の順序通りに進んで行くということを意味してはいないと考えられることになるのです。

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以上のように、

ヘーゲルの歴史哲学において示されている人類の自由の拡大の歴史としての人類史の発展の構図は、あくまで、人間の意識の内にある理念の次元における国家の理想的な発展のあり方を示しているのであって、

それが現実の世界における国家の発展のあり方とは一致しないとしても、それは必ずしも、そうした理念の次元における国家の発展の構造の存在自体を否定することにはならないと考えられることになります。

つまり、

青年期から壮年期を経て老年期へと至る人間の心理的な発達段階の構図現実の人間の人生の歩みにおいて、必ずしもそのままの順序で適用することができないのと同様に、

現実の世界における人類と国家の歩みも、専制政治から貴族制を経て民主制へと至る理念的な国家の発展の構図の各段階の間を行きつ戻りつしながら、常にその理念においては自らの自由の拡大を目指しながら進んで行く存在であると捉えることができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:普遍的な理念の次元における国家の発展構造の象徴としての現実の諸国家における政体の例示、ヘーゲル歴史哲学の整合的解釈②

前回記事:ヘーゲルの歴史哲学が示す人類史の発展の構図と現実の世界における歴史の流れとの間に存在する差異と矛盾

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