神が「それよりも大きいものを考えることができないもの」として定義される理由とは?アンセルムスによる神の存在証明②

前回書いたように、中世ヨーロッパにおけるイギリスのスコラ哲学者であるアンセルムスによって唱えられた神の存在論的証明と呼ばれる神の存在証明の議論においては、

まず、神は「それよりも大きいものを考えることができないもの」として定義されたうえで、そうした定義における神の実在性の論証についての議論が進められていくことになります。

それでは、そもそも、アンセルムスが神を「それよりも大きいものを考えることができないもの」という「大きさ」に関わる存在として定義した理由はどのようなところにあり、

こうしたアンセルムスによる神の存在証明の議論においては、どのような意味において、神は「それよりも大きいものを考えることができないもの」という定義が示されていると考えられることになるのでしょうか?

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空間的な広がりを持たないはずの神の「大きさ」とは何か?

まず、一般的に考えて、神とはいかなる存在であるかを定義するとき、

例えば、神を永遠不滅である不死なる存在であるとか、この世界に存在するあらゆるものの創造者であるといった形で神を定義することはできたとしても、

アンセルムスの神の存在証明の議論で述べられているように、「それよりも大きいものを考えることができないもの」といった「大きさ」において神を定義することは、通常の場合、あまり一般的な議論ではないと考えられることになります。

なぜならば、

例えば、キリスト教の聖典である新約聖書「ヨハネによる福音書」においても、

神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(「ヨハネによる福音書」第4章24節)

と記されているように、

通常の場合、神という存在は、大きさ空間的な広がりといった物質的存在としての属性を持たないあるいは精神的存在として捉えられることになると考えられることになるからです。

つまり、

キリスト教における神は、通常の場合、空間的な広がりを持たない精神的存在であると考えられるのに、

そのようなあるいは精神的存在としての神が、一般的には、物質的存在の属性として捉えられている「大きさ」を持った存在として定義されるということは、

一見すると、少し奇妙な矛盾する議論であるようにも思われてしまうということです。

したがって、

アンセルムスによる神の存在証明において示されている「神はそれよりも大きいものを考えることができないものである」という定義のあり方を、

キリスト教における一般的な神の定義に矛盾することのない整合性を持った神の定義として捉えようとするならば、

そこで語られている神の「大きさ」とは、一般的な意味におけるように、単に空間を占める体積や量としての大きさのことを意味するわけではなく、

ここでは、そうした通常の意味における「大きさ」とは別の意味において「大きさ」という概念が用いられていると考えられることになるのです。

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知性と能力における完全性としての神の「大きさ」

それでは、そうした空間的な広がりという一般的な意味とは異なる意味における神の「大きさ」とは、具体的にどのような意味における「大きさ」であるのか?といういうと、それは、一言でいうと、

神が有する知性や能力といったあらゆる属性における完全性を意味する概念として「大きさ」であると考えられることになります。

新約聖書における十八の神の定義でも述べたように、新約聖書において示されているキリスト教の神についての代表的な定義のあり方のなかには、

全知全能完全性といった神の定義が挙げられることになりますが、

例えば、

もし、能力や知性といった様々な属性において、神と比べてより大なるものがあるとするならば、

神はそのより大なる存在に対しては存在のあり方がより劣った不完全な存在であると考えられることなります。

しかし、

神が能力や知性といった様々な属性においてより小さい不完全な存在であるということは、神は全知全能であり、自分自身が持つあらゆる属性において常に完全性を有する存在であるという上記のキリスト教における神の定義と矛盾することになってしまうので、

そういう意味においては、神より大なるものは存在しない、すなわち、神はそれよりも大きいものを考えることができないものであるとする冒頭で述べたアンセルムスによる神の存在証明における神の定義は正しいと考えられることになります。

つまり、

アンセルムスの神の存在証明においては、こうした新約聖書における全知全能完全性といった神の定義に基づいて、

空間を占める大きさが大きいというよりは、能力や知性の大きさや偉大さといった意味において、「神はそれよりも大きいものを考えることができないものである」という定義が示されていると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

アンセルムスによる神の存在証明の議論においては、まず、全知全能完全性といったキリスト教における神の定義が念頭に置かれたうえで、

神は、そうした知性や能力といったあらゆる属性において最も偉大で限りなく大なる存在であるというという意味において、

「神はそれよりも大きいものを考えることができないものである」という定義が示されていると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:神学者ガウロニによるアンセルムスの神の存在証明の議論の批判、アンセルムスによる神の存在証明③

前回記事:アンセルムスによる神の存在証明①、『プロスロギオン』における神の存在論的証明の議論

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