新約聖書において神の存在の具体的なあり方が記されている22箇所の記述

前回までの記事では旧約聖書において神の存在のあり方についての具体的な記述がなされている箇所を一つ一つ取り上げていくことによって、

旧約聖書における神の定義のあり方が、創造主・全知全能・善なる神・唯一神・永遠不変・完全者・至高者・人格神・裁定者・光明神・契約の神・万軍の主といった十二の定義へと集約することができるということについて考えてきました。

そこで、こうした旧約聖書における神の定義のあり方に対して、新約聖書においては、神とは具体的にどのような存在として定義されていると考えられるのか?ということについて詳しく考察していくために、

今回の記事では、実際にまず、新約聖書において神の存在の具体的なあり方が記されている箇所を一つ一つ順番に取り上げていく形で示しておきたいと思います。

新約聖書において神の存在の具体的なあり方が記されている22箇所の記述

新約聖書の記述の中で、神の子であり救世主であるとされるイエス・キリストや、その教えを伝え広めるために選ばれた使徒たちによって、神が具体的にどのような存在であるのかが語られている主要な箇所について片っ端から調べ上げていったうえで、

それぞれの新約聖書における記述を新共同訳聖書における書名と章の並び順にしたがって書き並べていくと、

例えば、以下のような新約聖書において神の存在の具体的なあり方が記されている22箇所の記述を挙げることができると考えられることになります。

・・・

あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
(新約聖書「マタイによる福音書」第5章48節)

・・・

「イエスは言われた。『なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。』」
(新約聖書「マルコによる福音書」第10章18節)

「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』」
(新約聖書「マルコによる福音書」第12章29~30節)

・・・

「天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。』」
(新約聖書「ルカによる福音書」第1章35~37節)

「わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
(新約聖書「ルカによる福音書」第1章47節)

・・・

「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
(新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章1節)

神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」
(新約聖書「ヨハネによる福音書」第3章17節)

神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
(新約聖書「ヨハネによる福音書」第4章24節)

・・・

「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。」
(新約聖書「使徒言行録」第17章29節)

・・・

「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。」
(新約聖書「ローマの信徒への手紙」第1章2~3節)

「この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
(新約聖書「ローマの信徒への手紙」第2章5~6節)

「すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。神は人を分け隔てなさいません。」
(新約聖書「ローマの信徒への手紙」第2章10~11節)

神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。
(新約聖書「ローマの信徒への手紙」第3章29節)

「肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。」
(新約聖書「ローマの信徒への手紙」第9章8節)

・・・

「わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。」
(新約聖書「コリントの信徒への手紙一」第10章20節)

神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。」
(新約聖書「コリントの信徒への手紙一」第14章33節)

・・・

すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」
(新約聖書「エフェソの信徒への手紙」第4章6節)

・・・

永遠の王不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように。」
(新約聖書「テモテへの手紙一」第1章17節)

神は唯一であり神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。」
(新約聖書「テモテへの手紙一」第2章5節)

唯一の不死の存在近寄り難い光の中に住まわれる方だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。
(新約聖書「テモテへの手紙一」第6章16節)

・・・

「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」
(新約聖書「ヨハネの黙示録」第1章8節)

「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」
(新約聖書「ヨハネの黙示録」第14章7節)

・・・

そして、上記の新約聖書における22箇所の記述のうち、下記の2箇所の記述、すなわち、

「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。」 (新約聖書「使徒言行録」第17章29節)

という記述と、

「わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。」(新約聖書「コリントの信徒への手紙一」第10章20節)

という記述の2箇所の記述については、

旧約聖書においても記されているものと同様に、偶像崇拝を否定することによって、人間によって造られたものは神ではないという神についての否定的な定義が述べられている箇所であると考えられることになります。

したがって、「神は~である」という神についての肯定的な定義が得られるのは、残りの新約聖書における20箇所の記述からということになると考えられることになるのですが、

次回以降の記事では、こうした神の肯定的なあり方についての記述がなされている新約聖書における20箇所の記述から、どのような形で新約聖書における具体的な神の定義を導き出すことができるのか?ということについて詳しく考えていきたいと思います。

・・・

次回記事:四福音書における神の存在のあり方の八つの定義とは?キリスト教における神の定義②、神の定義とは何か?④

前回記事:旧約聖書における十二の神の定義とは?キリスト教における神の定義①、神の定義とは何か?③

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