「時よ止まれ、お前は美しい」、ゲーテ『ファウスト』の名言の解釈とその真意とは?人間の心の内にとどまり続ける永遠の瞬間

18世紀後半~19世紀前半ドイツの詩人・劇作家であるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテJohann Wolfgang von Goethe)がその生涯をかけて書き上げた長編戯曲であるファウストでは、

その終幕の場面において、臨終の時を迎えようとする主人公ファウストが、時よ止まれ、お前はいかにも美しいというこの物語の中で最も有名な台詞を語るシーンが出てきます。

この場面のドイツ語原典における記述は、正確には、

Zum Augenblicke dürft ich sagen:
Verweile doch, du bist so schön!

となっていて、それは直訳すると

私はそうした瞬間に向かってならこう呼びかけてもいいだろう。
とどまれ、お前はいかにも美しいと。

といった意味になります。

ファウストはこの場面において、自分が心の内に思い描く理想の世界が地上に築き上げられることを確信しながら、そうした自らの理想が実現する最高の瞬間へと向けて上記の言葉を語りかけていると考えられるのですが、

それでは、なぜファウストは、

絶えず無常なものとして過ぎ去っていくはずの「瞬間」あるいは「時」という存在へと向けて、「とどまれ」「時よ止まれ」という一見するとただの不可能な願いのようにも思える言葉を投げかけているのでしょうか?

それについては、常に過ぎ去っていく地上の時人間の心の内にとどまり続ける永遠の時という二つの時間のあり方の違いの内に、この言葉の真意が見いだされていくと考えられることになるのです。

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とどまり、過ぎ去り、無へと引き去られていく存在と時間

『ファウスト』第二部の終幕の場面においては、

ファウストが、瞬間に向かって「とどまれ、お前はいかにも美しい」という言葉を投げかけて臨終の時を迎えると、

今度は、こうしたファウストの言葉に呼応して、それを打ち消そうとするかのように、彼の遺体を取り巻く死霊たちの合唱と、それを引き継ぐ悪魔メフィストフェレスの言葉が続いていくことになります。

死霊たちの合唱:

時は過ぎ去った

メフィストフェレス:

過ぎ去った!それは何と愚かな言葉だ
なぜ過ぎ去ったなどと言うのか?
過ぎ去ったのと、きれいに無いのとは、同じことなのに

この場面における死霊と悪魔メフィストフェレスの台詞では、

ファウストが自分の人生の最良の瞬間に向かって「時よ止まれ、お前はいかにも美しい」という言葉を投げかけた次の瞬間から、さらに先へと時の流れは過ぎ去っていってしまい、

すべての存在が過ぎ去り、無へと引き去られた後には、それはきれいさっぱり元から何も無かったのと同じ状態になってしまうということが語られていると考えられることになります。

このように、

人生の最良の瞬間を自らの手の内にとどめておくために、あるいは、最愛の人が死にゆく瞬間が訪れることがないようにその生の時をつなぎとめておくために、

「時よ止まれ!」といかに人間が全力を尽くして叫ぼうとも

次の瞬間には、その言葉自体が虚しく遠のいていき、時の彼方へと消え去ってしまうことになります。

そして、

人生の最良の瞬間は、過ぎ去り日々の過去の栄光としてすぐに色褪せていき、自分がこの世で最も大切に思う最愛の人も、その人のことを愛する自分自身の命もそのすべてがただ過ぎ去っていくように、

地上の世界の時の流れにしたがって、いずれはあらゆる存在が無へと引き去られてしまうと考えられることになるのです。

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常に過ぎ去っていく地上の時と、人間の心の内にとどまり続ける永遠の時

それでは、そうした」や「瞬間というものは、あらゆる面において常に過ぎ去り、元から何も無かったのと同じように消え去っていくものなのか?というと、必ずしもそういうわけではなく、

現実の地上の世界において過ぎ去っていくあらゆる瞬間は、人間の心の内においては永続的にとどまり続けることが可能であると考えられることになります。

そもそも、そこにかつてあった何か今はなくなってしまったという時、それが元から何も無かったのではなく、過ぎ去ったということが分かるのは、人間の心の内に確かな記憶があるからであり、

そうした美しい最良の瞬間を、自らのものとしていつまでも自分自身の心の内につなぎ止めておくことができる人間の心の働きがなせるわざであると考えられることになります。

つまり、そういう意味においては、

ある瞬間がそのまま過ぎ去っていき、ただ時の彼方へと虚しく消え去ってしまうのか、それとも、いつまでも永続的に人々の心の内にとどまり続けることができるのか?という問題は、

地上の世界における物理的な時間の流れという世界の側の問題ではなく、それはむしろ、人間の心の内で働き、どの瞬間を自らの心に適ったものとしてつなぎ止めておくかを決めている意識あるいは無意識の力といった私の心の側に選択権がある問題であると考えられることになるのです。

ゲーテの『ファウスト』の物語の結末では、

地上の世界に「時よ止まれ、お前はいかにも美しい」という言葉を残して死んでいったファウストの魂は、天使たちの手によって永遠なる天上の世界へと引き上げられていくことになりますが、

このように、

人間の心が、生成消滅して常に過ぎ去っていく物質的存在とは異なる存在であるという意味において、その魂が永遠なるものであるとするならば、

その永遠なる魂の内に刻み込まれた最高の瞬間もまた、その外側でいかに荒波が押し寄せ、嵐が荒れ狂うことになろうとも、決して滅び去ることがない永遠なる不滅の瞬間となると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

「時」あるいは「瞬間」へと向けて語られている上記のファウストの言葉は、

常に過ぎ去っていく地上の時へと投げかけられ、ただ時の彼方へと消え去っていくだけの虚しい言葉であったというわけではなく、

自らの心の内にあり、肉体の死後にも永遠なる天上の世界の内へと引き継がれていくことになる永遠の瞬間へと向けて投げかけられた言葉であったと考えられることになります。

そして、そういう意味では、

そうした人間の心の世界の内おいて、決して無へと引き去られてしまうことのない永遠の時が広がっているということを示す言葉が、

ゲーテ『ファウスト』の終幕の場面において語られている

「時よ止まれ、お前はいかにも美しい」

という言葉の真意であったとも解釈することできると考えられることになるのです。

・・・

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