「本間血腫」における本間先生の言葉の意味と人間の命の尊厳、『ブラック・ジャック』の本間先生の言葉②

前回書いたように、

手塚治虫の『ブラック・ジャック』に出てくる「ときには真珠のように」と題されたエピソードの中では、

ブラック・ジャックの恩師であり、命の恩人でもある本間丈太郎の言葉として、人知を超えた生命の神秘の力に対する驚きと畏敬の念を表わす形で「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」という言葉が語られることになります。

それに対して、

これとまったく同じセリフが回想シーンとして最後に出てくる「本間血腫」と題されるエピソードの中では、

上記のような生命の神秘に対する驚きという意味よりも、むしろ、医学におけるある種の行き過ぎた行為が、人間の命のあり方、そしてその死の尊厳を傷つける行為へとつながりかねないということを示す危惧や警鐘へと結びつけられる形で、上記の本間先生の言葉が改めて捉え直されていくことになるのです。

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「本間血腫」において明かされる本間先生の引退までの経緯

本間血腫」(『ブラック・ジャック』秋田書店、新書版第15巻、第140話、11頁~)の回のエピソードでは、

本間血腫と呼ばれる世界に二十例ほどしかない珍しい症例の患者が日本に現れたことを新聞でブラック・ジャックが知り、

さらに、この難病の治療法を見いだせずに困っている大学病院の外科部長から手術の依頼を受けるところから話が始まることになります。

本間血腫とは、心臓の左心室の内部に原因不明の血の塊ができてしまうことによって全身に難治性の血流不全が生じるとされる『ブラック・ジャック』に出てくる仮想の病気であり、

その血腫を取り除くために心臓を切り開く手術を行っても、すぐに同じような血腫が繰り返し現れてしまうことになるので、

手術を繰り返す度に患者は衰弱していって最後には死に至ってしまうとされる原因不明の心臓病であり、

この病気のはじめての症例の治療にあたった医師である本間丈太郎の名にちなんで本間血腫と名づけられていることが説明されることになります。

この難病の解明を目指して一人奮闘を続けていた在りし日の本間先生は、治療が成功する可能性がほとんどないことを知りながらも、一縷の望みをかけて最後まで患者に対して試行錯誤の手術を繰り返し施し続けていくことになるのですが、

そうした無理な手術と治療の繰り返しが結果として患者の体力を奪い、かえって死期を早めてしまうという悲劇の結末に至ってしまうことになります。

そして、

こうした本間先生の治療行為は、治らないと分かっていながらも不治の病の患者の体をいたずらに切り刻むことによって患者の苦痛を増し、患者の人間としての尊厳を傷つけるだけの生体実験だったとして社会から糾弾されることになるのですが、

それが本間丈太郎が引退を強制される形で医学界を追われ、隠居生活を余儀なくされることとなり、そのまま二度と日の目を見ることのないまま老衰による死を迎えるに至るまでの経緯であったことが明かされることになるのです。

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本間血腫の正体と医学を超える人間の命の尊厳

そして、

恩師の名誉挽回と医学の新たな進歩のため、ブラック・ジャックは、本間先生が残した本間血腫についての膨大な資料を手掛かりに、己の天才的な能力の限りを尽くしてこの病気の研究に取り組み、ついに唯一の治療法を発見したと胸を張って手術に取りかかることになります。

ブラック・ジャックがたどり着いた本間血腫の究極の治療法とは、自らの手で造り上げた完全無欠の人工心臓を患者の本物の心臓と取り替えることによって病気を根治させるという治療法だったのですが、

実際に手術に取りかかり、患者の胸を切り開いていくと、そこにあった患者の心臓は、過去に別の手術によってすでに埋め込まれていた人工心臓であることに気づくことになります。

つまり、

本間血腫の正体とは、過去にどこか別の国の医学の天才によってすでに造り上げられていた本物と見まがうばかりの極めて精巧な人工心臓の故障による疾患であることが明らかにされることになるのです。

そして、

こうした事実に気づいて愕然とするブラック・ジャックは、そのまま人工心臓を取り替える手術を続けることを思いとどまり患者に対して何の治療も行わないまま手術を中止してしまうことになるのですが、

失意のまま自宅へと帰ったブラック・ジャックは、自分の机に顔を伏せてやりきれない思いを噛みしめながら、以下のように語ることになります。

いつ、どこの国で、だれがやったんだ
いや、そんなことはどうでもいい

あんな精巧な人工心臓でも、完全ではなかった
医学の限界か

そして、その後に続くセリフとして、前回取り上げた「ときには真珠のように」の回で語られた

人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね

という本間先生の臨終の時の最後の言葉がブラック・ジャックの脳裏をよぎり、この回の話は結末を迎えることになるのです。

・・・

このように、

「本間血腫」のエピソードにおけるブラック・ジャックは、どんな困難な病気に対しても天才的な頭脳と神がかり的な手術の技術で立ち向かい、誰もが不可能だと思う患者の治療を成し遂げてしまうといういつもの彼の姿とは大きく異なり、

患者に対する治療を諦め命を救うこと自体を放棄してしまっているとも考えられることになるのですが、

ブラック・ジャックがこうした決断をした理由は、治癒の見込みがない患者に対して苦痛を与えるだけの治療を続ける行為や、人間の身体をロボットの部品を取り換えるかのように機械に置き換えてしまうような行為は、まさに、

かつて本間先生が糾弾されることになった患者の人間としての尊厳を傷つける生体実験のような治療行為にあたるものであることに気づいてしまったことにあると考えられることになります。

つまり、『ブラック・ジャック』における「本間血腫」のエピソードでは、

いつの時代の、どのような天才が、いかなる技術をもってして、どんなに精巧に見える人工心臓を造ったとしても、そこにはどこかに必ず本物の心臓とは違う何らかの欠陥が生じてしまうと考えられるように、

神仏や自然そのものの力によって与えられている人間の命については、どんなに精巧に造り上げたとしても、人知の力で生命そのものを創り出すことはできないという医学と人間の力の限界が示されていると考えられることになります。

あるいは、そのように人間の命や生命の仕組みを人為的に再現しようとする試み自体が「人間が生きものの生き死にを自由にしようとするおこがましい行為」であり、

人間の身体をロボットの部品のように機械へと置き換えてしまったり、人の手によって新たに生命を創り出そうとするような行為は、

それがたとえ患者のためを思って行う医療上の行為であったとしても、人間の命の尊厳を傷つけ人間から尊厳ある死のあり方を奪ってしまう行為へとつながってしまう危険性があるということへの危惧と警鐘が示されていると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:本間先生の言葉と馮二斉の手紙の文面の関係と琵琶丸とブラック・ジャックという二人の異端の医師の再会

前回記事:「ときには真珠のように」で本間丈太郎が残した言葉と生命の神秘、『ブラック・ジャック』の本間先生の言葉①

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