ハンムラビ法典と旧約聖書はどちらの方がより古いのか?

前回書いたように、

殺人犯などに対して自らの命によって償いをする死刑執行などの刑罰が容認される論拠としては、一般的に、

目には目を、歯には歯を」といった言葉で示される同害報復あるいは同害復讐と呼ばれる概念が根拠として用いられるケースが多いと考えられることになります。

そして、こうした同害報復といった法規定や倫理観のあり方が典型的に記されている典拠となる古い文献としては、ハンムラビ法典旧約聖書という二つの古い書物の名が挙げられることなるのですが、

それでは、こうしたハンムラビ法典と旧約聖書という二つの書物はどちらの方が先に書かれたより古くから存在する書物であると考えられることになるのでしょうか?

スポンサーリンク

世界最古のウル・ナンム法典と二番目に古いハンムラビ法典

現存する世界最古の法典としては、紀元前2100年頃の時代に、古代メソポタミア文明ウル第三王朝を築いた初代王として知られるウル・ナンムUr Nammuによって定められたウル・ナンム法典が挙げられることになります。

ウル第三王朝は、古代メソポタミア文明を築いた民であるシュメール人によって築かれた王朝であり、メソポタミア地方は現在のイラクが位置する地域ということになりますが、

ウル第三王朝は、そうしたメソポタミア地方に興った世界最古の文明の一つである古代メソポタミア文明を築いたシュメール人の黄金時代を築いた王朝でもあるのです。

そして、

そうした世界最古の法典であるウル・ナンム法典が成立した350年ほど後に、同じメソポタミア地方の南部にあたるバビロニアを支配した王であるハンムラビHammurabiによって定められた法典が、完全な形で現存する中では世界で二番目に古い法典であるハンムラビ法典ということなります。

ハンムラビが都市国家バビロンの王としてバビロニアを含むメソポタミア地方全土へと勢力を拡大したのは紀元前1792年頃~1750年頃と考えられているので、

同害報復の規定を含むハンムラビ法典の条文の規定は、そのすべてが遅くとも紀元前1750年頃までには成立していたと考えられることになります。

スポンサーリンク

旧約聖書の文献学上の成立年代とキリスト教の伝統的な解釈に基づくモーセ五書の成立年代の違い

それに対して、

旧約聖書という書物自体が成立したのはいったいいつ頃の年代と考えられるのか?ということについてですが、

そもそも、旧約聖書自体が、古代イスラエル民族を率いた宗教的指導者であった預言者たちによって語られたとされる言葉が記された預言書などの書物が、時代を経るにしたがって徐々に取捨選択がなされ、まとめ上げられていくことによって成立した書物の総体であると考えられるので、

旧約聖書を構成する「創世記」や「イザヤ書」、「コヘレトの言葉」といった各書が成立した年代には互いに大きなばらつきがあると考えられることになります。

そして、その中でも最も古い文献の分類に属すると考えられている「創世記」や「出エジプト記」といった文献については、

一般的には、紀元前10世紀頃までにはそうした書物の内容の原型がすでに成立していたと考えられることになります。

こうした一般的な文献学上の年代解釈に対して、

旧約聖書を構成する各書のうちの最初の五つにあたる「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の五書については、ユダヤ教においてはトーラーTorah、一般的にはモーセ五書とも呼ばれていて、

こうしたモーセ五書については、キリスト教の伝統的な解釈においては、古代イスラエルの民族指導者にして預言者であるモーセMoses自身の手によって記された書物であると解釈されることもあります。

この場合、モーセ五書に含まれている旧約聖書の各書の成立については、上記の一般的な文献学上の年代解釈よりも古い年代が主張されることになるのですが、

民族指導者としてのモーセ自身が実際に活躍したと考えられる年代と地域は、

イスラエルの民たちが当時迫害を受けていたエジプトからモーセの指揮のもと脱出し、約束の地であるカナン現在のパレスチナ地方)へとたどり着くまでの物語が描かれている「出エジプト記」の時代である紀元前16世紀頃または紀元前13世紀頃の中東世界であると考えられることになるので、

こうしたキリスト教における伝統的な解釈に従う場合でも、旧約聖書における最も古い文献の成立紀元前16世紀よりも前にまでさかのぼることはできないと考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

ハンムラビ法典が古代バビロニアの王であるハンムラビが死去した紀元前1750年頃までには成立していた世界で二番目に古い法典であると考えられるのに対して、

創世記」や「出エジプト記」といった旧約聖書を構成する最も古い各書が成立したと考えられる年代は、一般的な文献学上の解釈に基づくと、おおよそ紀元前10世紀頃であったと考えられることになります。

また、キリスト教における伝統的な解釈にしたがって、モーセ五書と呼ばれる「出エジプト記」などを含む書物がモーセ自身の手で書かれたと解釈する場合でも、

その成立年代が、歴史上の人物としてのモーセが実際に活躍したと考えられる紀元前16世紀頃または紀元前13世紀頃の時代以前へとさかのぼることはできないので、

一般的な文献解釈においては700年ほど、キリスト教の伝統的な解釈にしたがった場合でも少なくとも150年以上ハンムラビ法典の方が旧約聖書よりも先に成立したより古い書物であると考えられることになるのです。

・・・

次回記事ハンムラビ法典と旧約聖書における同害報復の規定の違いとは?①ハンムラビ法典の身分階級に基づく賠償制度の違い

前回記事:殺人犯への死刑執行が道徳的に是認されうる論拠とは?なぜ人を殺してはいけないのか?という問いへの論理的説明③

倫理学のカテゴリーへ

旧約聖書のカテゴリーへ

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ