ソドム滅亡の具体的な顛末①パンを食べ地に足をつく天使と数百年を生きる超人たちが生きた時代

前回書いたように、

ソドムの町が神の手によって町ごと硫黄の火によって焼き払われ滅亡させられてしまった理由は、その町に住む人々の間にはびこっていた悪徳と邪悪な行いに求められることになるのですが、

そのソドムの町が滅亡へと至るまでの経緯については、旧約聖書の「創世記」においては、

ソドムの町を滅亡から救うためのアブラハムによるソドムのための執り成し」と、「ソドムの滅亡」という二つの章に分けて描かれていくことになります。

そして、その中でも、

ソドムの町が滅亡に至るまでの具体的な顛末が描かれている後者のソドムの滅亡の章においては、

ソドムの町を訪れた二人の御使いをアブラハムの甥であるロトが見つけて自らの家へと招き入れ食事を共にする場面から、

ロトの家をソドムの町にはびこる悪漢たちが襲撃してくる場面、

そして、ソドムの町の外へとロトとその家族たちが避難して去って行った後に、天から降る硫黄の火によってすべての住民ごとソドムとゴモラの町が焼き尽くされて滅んでいく場面という三つの場面に分けてソドムの町が滅亡に至るまでの具体的な顛末が描かれていくことになるのです。

スポンサーリンク

ソドムの町を訪れる二人の御使いとパンを食べ地に足をつく天使

ソドムの町の住民たちが犯している罪の大きさを実際に視察するために神のもとから遣わされた二人の御使いがソドムの町を訪れると、

神の忠実な僕であるロトは、彼らの存在にすぐに気づいて、以下のように申し出ることになります。

二人の御使いが夕方ソドムに着いたとき、ロトはソドムの門の所に座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して、言った。

「皆様方、どうぞ僕しもべの家に立ち寄り足を洗ってお泊まりください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください。」

彼らは言った。

「いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします。」

しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし彼の家を訪ねた

ロトは、酵母を入れないパンを焼いて食事を供し彼らをもてなした

(『旧約聖書』、「創世記」、19章1節~3節)

つまり、旧約聖書の「創世記」のこの場面における記述では、

神のもとから遣わされた二人の御使い、すなわち、二人の天使たちは、実際に地を歩む足を持った人間の男性の姿をしてソドムの町を訪れていて、

しかも、

この二人の天使は、ソドムの町に住むロトの家を訪ねた際に、ロトが焼いたパンを食べて彼と食事を共にしたということが記されているということです。

現在の神や天使に対する一般的なイメージからすると、

神の使いである天使が背中に翼が生えた姿で空を舞い、身体から神々しい光を放つような姿として描かれるならばともかく、

天使が普通の人間の男性の姿をして現れ、ましてや、パンを食べて人間と食事を共にするというのは、少し奇妙な描写のようにも思えることになるのですが、

こうした神や天使についての具体的な記述に対する違和感は、現代と旧約聖書が記された時代との間を隔てる神と人間との距離感の違いに由来する感覚の相違であると考えられることになります。

スポンサーリンク

数百年を生きる超人たちが生きた時代における人と神との距離感の違い

旧約聖書の「創世記」、その中でも、ソドムの町の滅亡が描かれているアブラハムやロトが生きていた時代は、聖書における出来事の系列としては、

大洪水によって旧世界が滅ぼされたのち、ノアの方舟から現在へとつながる新世界が始まってからまだそう遠くない時代ということになります。

そして、

アブラハムはノアから数えてちょうど十代目の子孫にあたることになるのですが、

そのアブラハムの祖先であるノアは、旧約聖書における記述では、大洪水の後もさらに350年生き、950歳で死んだと記されています。

さらに、

ノアの息子であるセムは600歳まで生き、アブラハムの父であるテラも205歳まで、そして、アブラハム自身100歳の時に息子イサクをもうけたのち、175歳で死んだと記されています。

このように、

旧約聖書の世界の登場人物であるノアやアブラハムが生きていたとされる時代は、数百年を生きる超人たちが生きた時代であり、

それは、時の流れ方も、人間の世界と神の世界とを分ける仕組みも現代とは大きく異なる時代であったと考えられることになるのです。

そして、

こうした人間が仙人のように長生きし、現在よりも人間の世界がずっと神の世界に近かった時代の話の中では、

神や天使の存在もまた、現代よりも人間の世界にずっと近しいあり方をしていたと考えられるので、

神が人の姿を借りて直接地上へと降り立ったり、神の使者である天使たちが神を愛する人々のもとを訪れ、地上を闊歩し、パンを食べて彼らと食事を共にしたりすることがあったとしても、それほど不自然な記述ではないと考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

ソドムの町の罪深さを実際に視察して確かめるために神のもとから遣わされた二人の御使いは、アブラハムの甥であり、神の忠実な僕であるロトの招きに応じて彼の家を訪れ、彼の焼いたパンを食べて食事まで共にすることになるのですが、

このようにして、彼らがロトの家で休んでいると、そのもとにソドムの町にはびこる悪漢ども押しかけてきて、彼らの町を訪れた二人の天使たちを襲おうと画策しだすことになるのです。

・・・

次回記事ロトが身代わりに自分の娘を差し出した理由とは?旧約聖書の世界観における善悪の最大の基準、ソドム滅亡の具体的な顛末②

関連記事:1620世紀のイギリスにおけるソドミー法の展開とベンサムの同性愛擁護論

旧約聖書のカテゴリーへ

神話」のカテゴリーへ

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ