「悪法もまた法なり」とソクラテスは言ったのか?『クリトン』における国家と国法との寓話的な対話

悪法もまた法なり」または、「悪法も法なり」とは、通常は、

たとえ悪い法律であったとしても、それが法である限り守らなければならないといった意味で解釈されることが多いソクラテスの思想に基づく格言であるとされる言葉ですが、

この言葉は、ソクラテスの思想を代表する言葉である「無知の知」という言葉と同様に、その言葉通りの形では、ソクラテス自身によって直接語られたことはないと考えられることになります。

ソクラテス自身はいかなる著作も残していないので、著者が自分の言葉を自分自身の手によって書き残すという通常の意味における記録が残っていないのは当然として、

プラトンクセノポンといったソクラテスの弟子や友人たちが書き残した数多くの対話篇言行録を含めても、そのままのの形でこれらの言葉が語られている箇所は一切存在しないと考えられることになるのです。

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死刑を待つ牢獄におけるソクラテスと友人クリトンの対話

それでは、

ソクラテスにおけるどのような思想内容のことを指して、
それが「悪法もまた法なりという言葉として解釈されているのか?というと、

それは、

最晩年を迎えた70歳頃のソクラテス友人であるクリトンとの間で交わした対話の内容をのちにソクラテスの弟子であるプラトンが書き記したとされている『クリトン』の中に出てくる下記のような記述に由来する言葉であると考えられることになります。

クリトン』は、ソクラテスがアテナイの人々の手によって無実の罪で民衆裁判にかけられ、死刑を宣告されるまでを描いたソクラテスに関する最も有名な対話篇である『ソクラテスの弁明』の続編に位置づけられる作品ですが、

その『クリトン』の中では、ソクラテスがアテナイの民衆法廷において死刑判決を下されたのち、毒人参の杯をあおいで死を迎えるまでいた牢獄の中における彼の様子と、面会者である友人クリトンとの間の対話が描かれていくことになります。

そして、

アテナイの国法に基づいて下された判決に従い、牢獄の中で静かに過ごしながら粛々と死刑の執行を待っているソクラテスに対して、面会に訪れたクリトンは、

国家の方が無実の者を死刑に処するために牢獄に繋ぎ止めておくという不正をソクラテスに対して行っているのだから、

そのような国法に基づく不当な判決には従わずに、一緒に脱獄して国外へと逃げのびるべきだとソクラテスを説得することを試みることになるのです。

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『クリトン』における国家と国法との寓話的な対話

しかし、

こうしたクリトンの説得に対して、ソクラテスは応じずに、

不正は悪であり、人はどのような場合においても不正を行ってはならないという根本的な倫理観を提示し、これに対話相手であるクリトンも同意することを確認したうえで、

擬人化された国家と国法ソクラテスとの間に交わされる一種の寓話のような仮想的な対話を語り始めていくことになるのです。

ソクラテスと国家と国法のコンビとの間の一連の寓話的な対話が始まる場面は
以下のような出だしではじまることになります。

ソクラテス:「では、話を続けよう、いや、むしろ問うてみようではないか。人は以前に自分が他の人に対してそれが正当な権利であると承認を与えてきたことに対して自らこれを尊重するべきだろうか?それとも、彼を欺いてこれを無視してしまってもよいものだろうか?」

クリトン:「それは尊重するべきであるに決まっている。」

ソクラテス:「では、その結論から推し量るに、国家の同意を得ずにここから逃げ出せば、僕たちは誰かに、しかも最も害を加えてはならない何ものかに対して害を与えてしまうことになるのではないか?その場合でも、僕たちは、自ら正しいと承認してきたことにあくまでも忠実であると言えるのだろうか?」

ソクラテス:「例えば、こんなふうに考えてみるとしよう。今ここから逃亡しようとしている僕たちのところへ、国法と国家とがやって来て僕たちに近寄ってこう問うてきたとする。」

国法と国家:「ソクラテスよ、一つ言ってみてはくれまいか?いったいお前は何をしようとしているのだ?お前は、お前がしようとしている行動によって我々と法律と国家全体とをお前の力の及ぶ限り破壊するというちょうどそのことを企てているのではないのかね?それともお前は、一度下された法の裁定が何の実行力もなく私人によって覆され破棄されるようなことがあっても、その国家は存続して崩壊を免れることができるとでも思っているのか?・・・」

(プラトン著、『クリトン』、第10節~11節)

つまり、

ソクラテスは、こうした国法と国家との寓話的な対話を通じて、

国法に基づいて下された判決に従わずに、自ら法律を破って脱獄と逃亡を図ることは、明らかに不正な行いの一つであり、

人々の生活を守り秩序を維持することに大きく貢献している国法と国家に対して真っ向から逆らい、これに仇なす不正を働くことは、

国法と国家によって守られているあらゆる人々の生活を根本から脅かすことにもつながり、ひいては、国家の秩序を維持するための国法が機能しなくなることによって、国家自体の崩壊すら招く恐れがある行為であるということを主張しているということです。

・・・

そして、

この後もソクラテスと国法たちとの論争は長く続いていくことになるのですが、

詳しくは次回述べるように、この先の議論では、国家と国法に逆らう者は三重の不正を犯す者であるとする国家と国法を擁護するための極めて強い主張が展開されていくことになるのです。

・・・

次回記事国法と国家に逆らう三重の不正を犯す者、「悪法もまた法なり」とソクラテスは言ったのか?②

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