職業としての哲学者と生き方そして人格そのものとしての哲学の知、ソクラテスの無知の知に基づく職業ごとの知の階級のヒエラルキー③

前回提示した図において示されているように、

ソクラテスの無知の知に基づく人間の知のあり方の探究においては、
哲学者としての知のあり方が、あらゆる職業における知のあり方を越えた、その最上位に位置する知のあり方であると考えられることになります。

つまり、

自らの無知を自覚したうえで、人間の知のあり方全体の吟味と探究を行う哲学者における知のあり方こそが、政治家や詩人や職人といったあらゆる職業に従事する人々の知のあり方を超えた人間にとって至高の知のあり方であると主張されているということです。

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個々の職業における知を超えた哲学における全体的な知のあり方

それでは、

ソクラテスは、そうした哲学者における知のあり方を至高とする知のあり方の上下関係のヒエラルキーを示すことによって、

哲学者が最も優れた職業であり、それに対して、職人や政治家といった他の職業が劣っているという職業自体の上下関係があるということを主張しているのか?というと、決してそうではなく、

むしろ、人間の知のあり方全体の吟味を行う哲学における知のあり方は、個々の職業における部分的な知のあり方を包括するような普遍的で全体的な知のあり方をしているということを主張していると考えられることになります。

そもそも、

人間の知のあり方とその普遍的真理を探究する哲学の道を志して以降のソクラテス自身が、社会における一般的な意味としての職には就いてはおらず私人としての立場から哲学的探究を行っていたと考えられるのですが、

こうしたことからも分かる通り、

ソクラテスの無知の知の探究においては、

優れているのは哲学者という職業自体ではなく、常に、善く生きようとすることを志し続け、そのために人間の知のあり方全体を探求しようとする哲学的思考自体が重視されているのであり、

そうした哲学的探究の営みそのものが人間にとって最も重要な知のあり方であるということが示されていると考えられるのです。

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生き方そして人格そのものとしての哲学の知と哲人王の理想

そして、そういう意味では、

ここで言われている哲学者における知のあり方という知の区分自体も、それは、職業上の分類というよりは、

その人自身の生き方人格そのもののことを表している意味合いの方が強いと考えられることになります。

例えば、

前回の職業ごとの知の階級のヒエラルキーの図においては、およそ善美なるものについての知とは無関係な知のあり方をしているとして、最下層の無知のあり方に分類されてしまっている政治家という職業についても、

もし、その職業に就いている人物が哲学者としての知のあり方を同時に兼ね備えているとしたならば、

それは、のちに、ソクラテスの弟子であるプラトンにおいて唱えられる理想の政治体制である、哲学者が国家の統治者となる哲人王の理想にも直接つながっていくと考えられるように、

あらゆる職業に就いている人、あるいはソクラテス自身がそうであったように特定の職業に就いていない人についても、

すべての人が同等に、哲学者としての知、すなわち、無知の知の自覚に基づく人間の知のあり方全体の永遠なる探究の道を歩むことが可能であると考えられることになるのです。

そして、そういう意味では、

政治家や職人や哲学者といった職業上の区分を超えたすべての人々に対して

そうした人間における最高の知のあり方である哲学における知のあり方へと到達する可能性が開かれているということになるのです。

・・・

以上のように、

ソクラテスの無知の知に基づく人間の知のあり方の探究においては、

自分自身そして人間そのものにおける知性の不完全さに基づく根源的な無知を深く自覚しながらも、

そうした根源的な無知を目の前にして打ちのめされ、絶望感から虚無主義ニヒリズムへと陥ってしまったり、無力感から知の探究の試み自体を放棄してしまったりすることなく、

人間の知のあり方全体に対する際限なき探求の道を歩み続けることができる哲学者の知のあり方こそが人間における最上の知のあり方であると主張されることになります。

しかし、このことは、

哲学者という職業に対して、政治家や詩人や職人といった他の職業につく人々が劣っているという職業上の優劣関係を示しているわけではなく

それは、

自分自身も対話相手も含めた人間全体がより善く生きることを目指すために、人間の知のあり方全体を探求する哲学的探究を志すという、職業の垣根を越えた一人一人の人間における心の姿勢自体のことを示していると考えられることになります。

つまり、

ソクラテスの知の探究においては、

一人一人の人間における生き方人格そのものとしての、善く生きるための人間の知のあり方を探究し続けていく心のあり方こそが最良の知のあり方であるということが示されていると考えられることになるのです。

・・・

次回記事「無知の知」の由来と自分が知らないことを自覚する知のあり方、ソクラテスにおける否定的な知のあり方の四つの解釈①

前回記事:ソフィストと政治家と弁護士と教師の知のあり方の類似点、ソクラテスの無知の知に基づく職業ごとの知の階級のヒエラルキー②

関連記事:ソクラテスの無知の知とは何か?①デルポイの神託の真意を確かめる知の探究への道

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