ソクラテスの無知の知に基づく職業ごとの知の階級のヒエラルキー

ソクラテスの無知の知への探究は、政治家詩人職人という三つの職業に就く人々のもとを訪ね、彼らの知の吟味と探究を進めていく形で進められていくことになります。

そして、

そうしたソクラテスの探究の中には、知を吟味する対話相手であるそれぞれの職業に従事する人々が持つ知のあり方について、優劣をつけて分類していくような場面があり、

そこには、インドのカースト制度や日本の士農工商などの身分階級の分類に準ずるような、ある種の職業別の知の階級づけの思想を見いだすことができます。

スポンサーリンク

政治家と職人における知の階級の逆転現象

ソクラテスの評価に基づく、それぞれの職業や地位における知のあり方の優劣の差については、例えば、『ソクラテスの弁明』において、以下のように語られています。

神の意志に従って探究を続けていった結果、私は、
最も評判か高い名のある人々のほとんどすべてが最も知見を欠く人物であり、

これに反して、尊敬されることが少ない他の人々の方がむしろその知見において優れていることを見いだしたのである。

(プラトン著、『ソクラテスの弁明』、第7節)

そして、

上記のソクラテスの言葉において、「評判が高い名のある人々」と呼ばれているのが彼が無知の知の探究において最初に訪れた著名な政治家たちのことであり、

その反対に、「尊敬されることが少ない他の人々」と呼ばれているのが彼が最後に訪れることになった名もなき職人や手工業者たちのことであると考えられることになります。

それぞれの職業における知のあり方がどのような点において無知だと言えるのか?ということについては、ソクラテスの無知の知とは何か?のシリーズで詳しく考察しましたが、

ソクラテスにおいては、

政治家における知のあり方は、単なる弁論術に過ぎず、それは人が善く生きるために必要な善美なるものについての知とは何の関わりもない無関係な知であるとされるのに対して、

職人における知のあり方は、彼らが人々の生活をより良いものにするのに役立つ知識を持っているという点において、それは善美なるものについての部分的な知であると肯定的に評価されるというように、

同じ無知であっても、政治家における無知職人における無知のあり方にはがあり、前者よりも後者の知のあり方の方が優れていると主張されることになるのです。

そして、これに対して、

詩人予言者巫女といった職業の人々における知のあり方は、

それが天性の感性や直感を通じて善美なるものとは関っているが、自らはその知について知性において論理的に把握できてはいないといった点において、

それは、政治家における知のあり方と職人における知のあり方の中間に位置づけられることになります。

このように、

ソクラテスにおいては、通常は、国家を導くリーダーとしてその国の中で最も優れた知を持っているとされる政治家における知のあり方が最も低く見られ

その反対に、

職人手工業者といった、一般的にはあまり知者としては認識されてないように思われる人々の知のあり方の方が高く評価されていくことになるのです。

つまり、

ソクラテスによる知のあり方の評価においては、

現実の社会における人々の通常の理解とは異なり

一般的には、程度が高い知を持っていると思われている人々の知のあり方が本質的には程度が低い知であるとされ、

反対に、

一般的にはあまり高尚な知はないとされている人々の知のあり方の方が優れているとみなされるという職業間の知の階級の逆転現象が起こっていると考えられるということです。

スポンサーリンク

ソクラテスの無知の知に基づく職業ごとの知の階級のヒエラルキー

そして、以上のようなソクラテスの思想に基づくと、

各職業ごとの知のあり方の関係は、例えば、以下のようなピラミッド構造を形成する知の階級のヒエラルキーのようなものとして捉えることができます。

-%e3%82%bd%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%86%e3%82%b9%e3%81%ae%e7%84%a1%e7%9f%a5%e3%81%ae%e7%9f%a5%e3%81%ab%e5%9f%ba%e3%81%a5%e3%81%8f%e8%81%b7%e6%a5%ad%e3%81%94%e3%81%a8%e3%81%ae%e7%9f%a5%e3%81%ae

上図に示したように、

ソクラテスの無知の知の探究に関する『ソクラテスの弁明』などにおける記述に基づくと、

知のヒエラルキーの底辺には、政治家ソフィスト弁護士教師といった職業における知のあり方が置かれ、

その次に、詩人予言者神官宗教家における知のあり方の階級が、

そして、その次の、通常の職業における最上位の知の階級には、職人手工業者農民などにおける知のあり方が置かれると考えられることになります。

そして、

これらの各職業における知のあり方を超えた最上位に、人間の知のあり方を探究し、その根源的な無知について自覚する哲学者における知のあり方が君臨すると考えられることになるのです。

・・・

そして、

上記の図において、政治家における知のあり方に類するものとしてソフィスト弁護士教師といった職業の名前が挙げられているのはなぜか?

また、

ソクラテスの主張に基づくと人間の知のあり方の最上位に位置すると考えられることになる哲学者における知のあり方とは、より具体的にはどのようなものであると考えられるのか?といったことについては、次回詳しく考えていきたいと思います。

・・・

次回記事ソフィストと政治家と弁護士と教師の知のあり方の類似点、ソクラテスの無知の知に基づく職業ごとの知の階級のヒエラルキー②

関連記事:ソクラテスの無知の知とは何か?①デルポイの神託の真意を確かめる知の探究への道

関連記事:善く生きるとは何か?①ソクラテスにおける魂の気遣いと知の愛求への道

ソクラテスのカテゴリーへ
哲学の雑学のカテゴリーへ

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ