勇気とは何か?恐れるべきものと恐れるべきでないものを分かつ善悪の知、ソクラテスの問答法とは何か?④

プラトンの対話篇『ラケス』における勇気に関する知の探究では、

前回までのラケスソクラテスの議論続いて、今度は、将軍ニキアスソクラテスの新たな対話相手となることによって、勇気の知についての議論が引き継がれていくことになります。

ニキアスは、ペロポネソス戦争の最中の紀元前421年に結ばれたニキアスの和約と呼ばれるアテナイとスパルタとの間に一時的ながら和平をもたらした講和条約の立案者としても有名な知性派の武将でもありますが、

そうした知将ニキアスを対話相手として、ソクラテスによる勇気についての知の探究がさらに先へと進められていくことになるのです。

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勇気とは、恐れるべきものと恐れるべきでないものを見分ける知である

前回のラケスソクラテスにおける勇気についての議論においては、

ラケスによる勇気の定義に対するソクラテスの反駁の中で、勇気という徳は、ラケスが定義したような単なる「忍耐強さ」ではなく、それは、「思慮ある忍耐強さ」でなければならないことが明らかにされましたが、

それに続く今回のニキアスソクラテスの議論においては、

それでは、どのような思慮、すなわちどのような知のあり方勇気という徳を成り立たせているのか?ということが問われていくことになります。

そして、

こうした問いに対して、ニキアスは、

勇気とは、恐れるべきものと恐れるべきでないものを見分ける知である」と答えます。

例えば、

戦いにおいて、敵側が少し攻勢に出ただけのまだ恐れるべきではない時に、怖気づいてすぐに逃げ出してしまうのは、ただの臆病であり、勇気の欠如であると考えられますが、

それとは反対に、

戦略的に不利な状況で、到底勝てない敵の大軍を前にしているような本当に恐れるべき時に、ひたすら無策な突撃を繰り返していたずらに兵の命を失うのは、勇気ではなく、単なる無謀な愚行であると考えられるように、

恐れるべきでないものと恐れるべきもの見極めこそが、勇気という徳の本質であるということです。

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未来の善と未来の悪とを見分ける知

しかし、

こうしたニキアスによる勇気の定義にもソクラテスは満足せずに、さらに以下のような論駁を加えていくことになります。

まず、ソクラテスは、

恐れるべきものとは未来の悪であり、恐れるべきでないものとは未来の善であるという主張をして、この考えを対話相手のニキアスにも認めさせます。

例えば、

そのまま戦い続けると確実に全滅してしまうような状況であるとするならば、それは部隊の全滅という悪しき未来が訪れることになるので、そのまま戦い続けることは恐れるべきことになりますが、

反対に、そのまま戦えば大きな犠牲なしに勝利が得られるとするならば、それは、輝かしい勝利という善き未来が訪れることになるので、そのまま戦い続けることは恐れるべきでないことになるというように、

悪しき未来善き未来を予見し、両者を適切に見分ける知のあり方こそが勇気という知の本質であると考えられるということです。

そして、さらに、ソクラテスは、

そうした善悪についての知は、それが未来であれ現在であれ過去であれ、悪しきものは同様に悪く、善きものは同様に善いことになると主張します。

つまり、

先ほどの例で言うならば、

自分の部隊が全滅してしまうという状況は、それが未来であれ現在であれ過去であれ同様に悪い状態であり、

反対に、仲間の犠牲なしに輝かしい勝利がもたらされるとするならば、それは未来であれ現在であれ過去であれ同様に善い状態であると考えられるということです。

そして、

善悪の知には、現在・過去・未来といった時間的制約は一切関係なく、善いものはいかなる時においても善く、悪しきものはいかなる時においても悪いと考えられることになるので、

勇気の知についても、それが悪しき未来善き未来とを見分ける善悪の知であるとするならば、それは、未来だけではなく、過去や現在においても同様に適用できる知であると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

ソクラテスの問答法に基づく論駁によって、

ニキアスが提示した「恐れるべきものと恐れるべきでないものを見分ける知」という勇気の定義は、

未来の善と未来の悪とを見分ける知」、さらには、単に「善と悪を見分ける知」という知のあり方へと還元されていくことになります。

そして、

こうして得られた最終的な定義は、それはもはや、人間が有し得る徳の内の一つとしての単なる勇気の定義というよりは、

むしろ、人間が善く生きるための徳全体のあり方そのものの定義でもあると考えられることになるのですが、

詳しくは次回書くように、

こうした『ラケス』における勇気についての議論からは、ソクラテスの問答法における知の探究のあり方の根本的な構造が読み取れると考えられることになるのです。

・・・

次回記事常に原点へと回帰し続ける堂々巡りの知の探究、ソクラテスの問答法とは何か?⑤

前回記事:勇気とは魂が持つ思慮ある忍耐強さである、ソクラテスの問答法とは何か?③

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