自己言及文の指示対象からの除外と落書きのパラドックス、ゴルギアスの相対主義と自己言及のパラドックス③

前回書いたように、

ゴルギアスなどのソフィストたちの思想における
相対主義の主張が陥ることになる自己言及のパラドックスとは、

自己言及否定の論理がセットになることで生じる論理矛盾無限の循環構造によって構成されるパラドックスであると捉えることができます。

そして、こうしたパラドックスの構造において、

否定の論理が「~である」「~ではない」といった
文章が示す意味内容に深く関わる論理判断であるのに対して、

自己言及の構造の方は、文の指示対象が自分自身にも及ぶという
文章の形式的な構造に起因するところが大きい問題であると捉えることができるので、

自己言及のパラドックスの解消のためには、まずは、

前者の否定の論理の方ではなく、後者の自己言及の構造の方を排除するか、
その構造自体を変化させることが解決策として求められることになります。

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自己言及文の指示対象からの除外と落書きのパラドックス

そこで、

こうした相対主義の自己言及のパラドックス解決するための方策として、

まずは、自己言及している文自体をその文の指示対象から除外するという方策が
最も単純な解決策として考えられることになります。

例えば、

この壁に落書きをしてはならない」という警告文が
壁に書かれている場合、

この警告文自体は、自分自身が書かれている壁自体にも言及しているので、
自己言及的な文であると捉えることができます。

しかし、

通常の理解においては、この壁に書かれている警告文自体は、
この文が指示する対象である落書きの定義からは除外して解釈されることになるので、この文において自己言及のパラドックスは成立しないと捉えられることになります。

つまり、上記の警告文は、より正確に言うならば、

「この壁に落書きをしてはならない。ただしこの文は落書きではないのでその限りではなない

という文章の太字で示した後半部分が省略されている形で記されていると考えれば、
この文における自己言及のパラドックスを回避することができると考えられるということです。

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この壁に文字を書いてはならない、ただし、この文を除いては

こうした自己言及している文自体をその文の指示対象から除外するという
自己言及文自体の例外化という解釈を拡張していくと、

先述の落書きのパラドックスにおけるパラドックス性をより強化した
この壁に文字を書いてはならない」という文が壁に書かれているという場合でも、

同様の論理によって、パラドックスを回避することが可能になると考えられることになります。

例えば、上記の文は、

「この壁に文字を書いてはならない、ただし、この文を除いては

という文における「この文を除いては」という文言が省略されている形で記されていると考えれば、一応、自己言及のパラドックス自体は回避することができると考えられることになります。

つまり、

パラドックスをきたす可能性のある自己言及文においては、

この文を除いて」や「ただし、この文自体は除く」といった
自己言及文自体を指示対象から除外例外化するただし書きが暗黙の前提として常に伴っていて、

そのただし書きの部分省略されて記されているに過ぎないと解釈することができれば、パラドキシカルな解釈を避けることは、少なくとも形式上は可能と考えられることになるのです。

・・・

以上のような、

自己言及文自体の文の指示対象からの除外例外化という解釈を
認めるとするならば、

相対主義における自己言及のパラドックスについても、
上記の落書きのパラドックスや「文字を書いてはならないという文のパラドックスと同様に、そのパラドックスの構造を回避することが一応は可能となると考えられることになります。

しかし、この場合、

なぜ自己言及文のみが文の指示対象から特権的に除外されるのか?という
除外と例外化が生じる自己言及文の特権性の根拠が明確ではないので、

こうした自己言及文における特権性の根拠を明らかにし、
より論理的整合性のあるパラドックスの解決策を見いだすために、
言語の階層化といったさらなる解釈の方策が求められていくことになるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:論理矛盾の無限循環によるパラドックスの構造、ゴルギアスの相対主義と自己言及のパラドックス②

このシリーズの次回記事:言語の階層化に基づく自己言及のパラドックスの解決策、ゴルギアスの相対主義と自己言及のパラドックス④

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