「何も存在しない。知ることも、伝えることもできはしない。」ゴルギアスの箴言②、絶対的真理を否定する三段階の論証

前回書いたように、

何も存在しない。
たとえ存在するとしても、それについて知ることはできない。
知り得たとしても、そのことを他人に伝えることはできない。

というゴルギアスの箴言は、

真理などどこにも存在しない。
たとえ真理が存在するとしても、人間がそれについて知ることはできない。
真理を知り得たとしても、その真理を他人に伝えることはできない。

ということを意味していると考えられることになるのですが、

この三行の文から構成されている真理を否定する三段階の論証は、具体的には、
以下のような議論の流れで展開していくと考えられることになります。

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真理の非存在と不可知性と伝達不可能性についての論証

まず、一行目の議論についてですが、

すべての存在は常に変化し続けているので、この世界には変わることのない絶対的な存在などはあり得ないと考えられることになります。

例えば、

禁酒法時代のアメリカでは不道徳な飲み物として禁止されていたアルコール飲料
現代においては社交の場では欠かせない飲み物として合法化されて広く楽しまれているように、あらゆる価値観は常に変容し、覆されていくことになるので、

絶対変わることがない不変の存在としての絶対的真理など
この世界のどこにも存在しないということになり、

したがって、

ゴルギアスの第一の議論である「何も存在しない」すなわち、
真理などどこにも存在しないということが論証されることになるのです。

次に、二行目の議論についてですが、

仮に、世界のどこかに真理が存在するとしたら、
それは、定義上、永遠不変絶対的な知ということになり、

そうした絶対的真理は、完全で決して揺るぐことがない
言わば、神のごとき知ということになります。

しかし、それに対して、

そのような完全なる絶対的真理を知ろうとする人間の思考自体は能力が限られていて、判断を誤ることもある不完全なものなので、

神のごとき完全なる真理である絶対的真理を、
不完全な存在である人間が把握することは不可能と考えられることになり、

したがって、

第二の議論である「たとえ存在するとしても、それについて知ることはできない。」すなわち、たとえ真理が存在するとしても、人間がそれについて知ることはできないということが論証されることになるのです。

最後に、三行目の議論についてですが、

それでも、もし、どこかにそのような神のごとき完全なる真理に到達することができる神の子超人のような稀有の人物がいたとして、そのような人物がその真理人々に語り伝えようとしたとします。

しかし、この場合でも、

人間が用いる言語自体が不完全であり、同じことを語っても聞き手に応じて様々な別々の解釈がなされてしまうことになるので、

その神のごとき人物が語る真理は、一般の人々に正しく理解されることはなく、
見いだされた真理は、決して他人に伝わることがないまま、その人物の死と共に、世界から完全に失われてしまうことになるのです。

したがって、

第三の議論である「知り得たとしても、そのことを他人に伝えることはできない。」すなわち、真理を知り得たとしても、その真理を他人に伝えることはできないということが論証されることになります。

・・・

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以上のように、

上記のゴルギアスの箴言においては、存在真理に対する否定の論証が一つ一つ段階を追っていく形で進んでいくことになるのですが、

こうした三つの議論のうちのいずれか一つの議論でも受け入れられることになるとするならば、

真理としての存在は、そもそも存在しないか、あったとしても世界のほとんどすべての人々にとって事実上存在しないに等しい無意味なものであることが論証されてしまうと考えられることになるのです。

そして、

ゴルギアスは、上記の三つの議論を通じて、パルメニデスなどの哲学者たちが論じている普遍的真理絶対的真理などというものは世界のどこにも存在せず、

この世界には、絶対的な真理も、絶対的な善も、絶対的な正義
根本的な意味においては存在しえないということを論証していくことになるのですが、

こうした存在と真理に対するゴルギアスの考え方は、

この世界に絶対的な価値基準は存在せず、真理や、善、正義といったすべての価値観は、人間の言論の力によって生み出された相対的な価値観に過ぎないという

プロタゴラスなどの他のソフィストたちにも共通する
価値観と真理に対する相対主義の思想へとつながっていくことになります。

そして、

こうしたゴルギアスにおける徹底された相対主義の思想は、次回考えるように、
究極的には、すべての価値観と存在自体が無価値無意味であるという
虚無主義ニヒリズムへの道をたどることになっていくと考えられることになるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:何も存在しない。知ることも、伝えることもできはしない。ゴルギアスの箴言①、パルメニデス哲学の存在論と真理観の否定

このシリーズの次回記事:「何も無い、何も知り得ない、何も伝えられずにすべてが再び無へと帰する」ゴルギアスの箴言③、究極の相対主義が行き着く虚無主義(ニヒリズム)への道

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