中世における四元素説の受容と四体液説と錬金術、世界はいくつの元素からできているのか?②

前回書いたように、

古代ギリシア哲学における
元素に関する哲学理論は、最終的に、

エンペドクレスの四元素説と、
デモクリトスの古代原子論という

二つの異なる学説へと行き着くことになるのですが、

その後、両者の学説は、
互いに大きくかけ離れた道を歩んでいくことになります。

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アリストテレスによる四元素説の体系化と中世哲学への受容

紀元前5世紀に唱えられたエンペドクレス四元素説は、
そのほぼ100年後の紀元前4世紀になると、

ソクラテス、プラトン、アリストテレスと続く
古代ギリシア哲学の大成者の最後の一人にして、

自然学や論理学、倫理学、政治学、形而上学から修辞学や美学にまで至る
多岐にわたる分野における膨大な量の学問研究とその緻密な体系化によって
万学の祖」とも呼ばれる

アリストテレスの哲学の内へと受け継がれていきます。

エンペドクレスに始まる四元素説は、アリストテレスの
自然学』(Physikaピュシカ)や
形而上学』(Metapysikaメタピュシカ)における

質料hyleヒュレー、素材)と形相eidosエイドス、形式、本質)、
現実態energeiaエネルゲイア)と可能態dynamisデュナミス )、
さらに、質料因・形相因・作用因・目的因の四原因説といった

アリストテレス哲学を形づくる
数多くの複雑で込み入った哲学理論の一部として取り入れられていき、

アリストテレスによる体系化を経ることによって、
その膨大で緻密な哲学体系の内へと組み込まれていくことになるのです。

そして、

哲学史におけるアリストテレスの登場以降、特に、
中世哲学においては、

アリストテレス哲学注釈と解釈
哲学研究の中心課題とされるようになっていき、

元素に関する学説においても、アリストテレスが採用した四元素説
主流思想として受け入れられていきます。

このように、

アリストテレスの学説が中世哲学における根本思想となり、
世界のあり方を説明する正しい理論として広く受容されていく中で、

四元素説は、自然学や生物学、医学といった様々な分野を含む
中世ヨーロッパにおける学問全体の根本概念として
取り入れられていくことになるのです。

古代から中世の西洋医学における四体液説への影響

四元素説の影響が色濃く見られる
哲学以外の学問分野における学説としては、

例えば、

古代ギリシアから中世ヨーロッパにかけて発展した
古代・中世の西洋医学における四体液説が挙げられます。

四体液説とは、

人間の生命の原動力となる身体を流れる体液は、
血液粘液黄胆汁黒胆汁四つの体液によって構成されていて、

四体液の調和によって心身の健康と生命力が維持され、
その調和が乱されることによって心身の不調や病気が生じる
と考える医学理論ですが、

こうした四体液説における血液粘液黄胆汁黒胆汁のそれぞれは、
四元素説における空気の四要素に対応することになります。

つまり、

自然界のあらゆる事物が空気、水、火、土という
四元素の混合とその適切なバランスによって形づくられているように、

人間の身体も、自然界の四元素に対応する
四体液によって構成されていると考え、

あらゆる病気の根本的原因となっている
四つの体液のバランスの乱れを元に戻し、
四体液の調和をもたらすことが
医学治療の最大の使命であるとする考え方が

ギリシア・ローマの古典時代から中世ヨーロッパへといたる
古代・中世の西洋医学中心思想となっていたということです。

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中世ヨーロッパにおける錬金術の発展とロバート・ボイル

また、

四元素説において、世界に存在するすべての事物が
空気、水、火、土の四元素から構成されているということは、

これらの四元素を適切に配合することができれば、
世界に存在するあらゆる物質を自由に錬成することができる
ということを意味することにもなるので、

こうした考え方から、中世の自然学や化学分野においては、

亜鉛といったありふれた金属から
金や銀、プラチナといった貴金属を作り出そうとする
錬金術の試みも進められていくことになります。

そして、

ボイルの法則(一定温度において気体の体積は圧力に反比例する、すなわち、気体は圧縮されるほどその圧力が高まるという法則)の発見で有名な

17世紀のアイルランドの化学者、物理学者にして「近代化学の祖」ともされる
ロバート・ボイルRobert Boyle、1627年~1691年)も
錬金術の研究の中からこうした化学・物理学上の業績を
築き上げていくことになるのですが、

このように、

四元素説を根本理念とする
中世における錬金術の発展を土台として、その中から、

近代科学の芽生えと、現代物理学へとつながっていく
新たな元素理論の展開が生じていくことになるのです。

・・・

以上のように、

アリストテレス哲学におけるエンペドクレスの四元素説の体系化以降、
四元素説は、古代から中世を通じて元素に関する哲学の主流思想となっていき、

それは、医学における四体液説や、化学における錬金術といった
中世における様々な学問分野の発展に広く寄与していくことになるのです。

ところで、

四元素説がアリストテレスによる体系化や中世哲学による庇護のもと、
古代から中世全般を通じてヨーロッパにおける学問の根本思想として
隆盛を極めていったのに対して、

エンペドクレスの四元素説とほぼ同時代に唱えられていた
元素に関するもう一方の学説である
デモクリトスらの古代原子論の学説の方は、
その後どのような道をたどることになっていったのでしょうか?

このことについては、
次回詳しく考えていきたいと思います。

・・・

このシリーズの前回記事:古代ギリシア哲学における元素の種類数の変遷の歴史、世界はいくつの元素からできているのか?①

このシリーズの次回記事:原子論の二千年におよぶ暗黒時代と近代原子論の萌芽と進展、世界はいくつの元素からできているのか?③

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