エトルリアとロムルスとレムスの鳥占いと卜占官、ローマ人とエトルリア人の関係⑤

前回書いたように、

ローマ人の出自を神話によって明らかにする叙事詩である
ウェルギリウスの『アエネイス』は、

エトルリア人を介して受け継がれたギリシア神話
自らの民族を語る物語としてローマ人に受け継がれることによって
誕生した作品であると考えられるのですが、

ローマ人の民族としての出自を描き出す物語が
ウェルギリウスの『アエネイス』であるとするならば、

ローマの国家としての始まりを描く建国物語は
リウィウスの『ローマ建国史』ということになります。

そして、

リウィウスの『ローマ建国史』には、

ロムルスとレムスの双子の兄弟による
都市ローマの建設の物語が描かれているのですが、

ここにもエトルリア人とローマ人文化的なつながりを示す
一つの出来事が記されていると考えられるのです。

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『ローマ建国史』におけるロムルスとレムスの鳥占い

リウィウスの『ローマ建国史』において、
ロムルスレムスの兄弟は、

新しい都の中心をロムルスが開拓したパラティヌスの丘
レムスが開拓したアウェンティヌスの丘のいずれに置くかで争いとなりますが、

後にローマと名づけられることになるこの新都市を率いる
主導権を巡る争いに決着をつけるために、

二人は、古くからのしきたりに従って、
それぞれの丘の上に祭壇を築き、

兄ロムルスと弟レムスのどちらが神の意志に適っているのかという
神の啓示を受けるために、天に伺いを立てることにします。

そうすると、しばらくして、

天空に鳥の一団が現れ、
まずは6羽の鷲がレムスの祭壇の上に舞い降りるのですが、

そのすぐ後に、

上空を旋回していた鳥たちの一団が今度はパラティヌスの丘の方へと降りていき、
12羽の鷲がロムルスの祭壇の上へと舞い降りることになります。

そして、

新しい都の建設に参加していた人々は、
こうした鳥を通じた神の啓示に従って、

より多くの鳥が祭壇へと舞い降りた兄ロムルスの方に
より大きな神の意志が共にあることが示されたと考え、

ロムルスが開拓したパラティヌスの丘を新たな都の中心として
この丘の周りに堅固な城壁を築くことを決めるのです。

しかし、

こうした鳥占いの裁定に対して、弟のレムスは、
ロムルスたちの鳥読みの仕方は誤っていて、

この場合は、鳥の数の多さではなく、先に鳥が舞い降りた
自分の祭壇の方が神に選ばれたと考えるべきだと主張することとなり、
さらなる争いが続くことになります。

そして、結局は、

血塗られた兄弟の争いの末に、
レムスの亡骸の上にローマの都が築かれ、
都市国家としてのローマが建国されることになるのですが、

こうしたローマ人やラテン人たちの古くからのしきたりである
鳥占いの慣習も

そもそもはエトルリアからローマへと伝わった文化の一つであったと
考えられるのです。

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エトルリアの鳥占いとローマにおける卜占官

鳥占いとは、

鳥の種類や数、鳴き声の高低や飛んで行く方向
飛び方や飛行する集団の形状などから、

天変地異や、突発的に降りかかる様々事態の予兆、
新しく決める物事の吉兆や凶兆を読み取る卜占(占術、占い)の一種ですが、

古代エトルリアにおいては、天空を舞う鳥たちは、
神々の世界地上の人間の世界とをつなぐ
使者の役割をしていると考えられ、

こうした鳥の行動の変化を読み解くことによって
神の意思をうかがい知ることができると考えられていました。

そして、

こうしたエトルリアの文化を引き継いだ古代ローマにおいては、

アウグルaugur、鳥卜官(ちょうぼくかん))と呼ばれる
鳥占いの卜占官(公的な役職として国家に仕える占い師)
まで設置され、

ローマにおける議会にあたる民会の招集
軍事遠征の判断、また、そうした物事の日取りの決定などについても

その都度、アウグルに伺いが立てられ、
事の吉凶について占ってもらうことになっていったのです。

・・・

以上のように、

エトルリアのローマへの文化的影響は、神話占術といった
目に見えない精神文化にまで深く及んでいくことになるのですが、

エトルリアからローマへと受け継がれた精神文化の中には、
前回取り上げたエトルリア人を介したギリシア神話の流入といった
古代ギリシアと古代ローマとの文化的な橋渡し役を担う
媒介的なものだけではなく、

今回取り上げた鳥占いアウグル(鳥卜官)といった
エトルリア人独自の精神文化もローマ人の社会全体へと
色濃く受け継がれていくことになるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:エトルリア人を介したギリシア神話のローマへの継承、ローマ人とエトルリア人の関係④

このシリーズの次回記事:エトルリアの重装歩兵とピルムの開発とローマへの軍事的基盤の継承、ローマ人とエトルリア人の関係⑥

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