エトルリアからローマへの技術と文化の継承、ローマ人とエトルリア人の関係とは?②

前回書いたように、

地理的にも政治的にもエトルリア人と深い関係にあった
王政期古代ローマは、

エトルリアからの強い影響を受けつつ、
都市国家としての発展の道を歩んでいくことになるのですが、

そうしたエトルリア人によるローマへの強い影響と
政治的圧力のなかで、

エトルリアからローマへ
多くの技術や文化的要素が継承されていくことになります。

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エトルリア人を介したローマへの古代文明の技術と文化の継承

エトルリア人の起源については、

彼らは、元々は小アジアリュディアから東地中海を渡って
イタリア半島中西部のティレニア海沿岸に住み着いた海洋民族である
とする説が最も有力ですが、

こうした海洋民族にルーツを持つと考えられるエトルリア人は、
イタリア半島から見た東方世界にあたるギリシアエジプト世界とも
海上貿易などを通じて経済的・文化的交流を盛んに行っていました。

そして、

これらの古代ギリシアやエジプトといった
古代文明の進んだ技術と文化を数多く取り入れていくことによって、

エトルリア人は、

土木建築技術から、鉄や銅といった鉱物資源の採掘、農業林業などの技術、
文化宗教軍事外交交易などほとんどあらゆる面で
ローマ人やラテン人たちの先を行く

古代イタリア世界における
先進文明を築き上げていくことになり、

こうした古代文明の技術と文化は、エトルリア人を介して
ローマの内へと流れ込んでいったと考えられるのです。

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コロセウムのアーチと剣闘士

エトルリアからローマへと継承されていった
具体的な技術や文化的要素としては、

例えば、以下のようなものが挙げられます。

古代ローマ人は土木建築に優れた民族であったとされていて、

コロセウムColosseum、円形闘技場)や
パンテオンPantheon、万神殿、古代ローマの円形神殿)、
大浴場や巨大な水道橋などの大規模建造物でも有名ですが、

こうした巨大な橋やコロセウムなどの大規模建築の全体構造を支えている
土木建築におけるアーチ構造arch

もとは、エトルリア人の技術に由来するものであったと考えられています。

アーチ構造とは、適切な形に切り出された石を、左右から上方へと徐々に
弓形に曲がるように組み上げていき、左右の石の列が上方で交わる頂点にキーストーンkeystone要石(かなめいし)、楔石(くさびいし))をはめ込むことで完成する
建造物の上部からの荷重を支えるための弓形の構造のことを示す概念です。

また、

近年では、エトルリアよりも南のカンパニア地方を起源とする説も
有力のようですが、

戦争捕虜や市場で買い集められた奴隷たちを
剣闘士Gladiatorグラディエーター)として使役し、

互いに命を懸けて真剣勝負で戦わせたり、時には猛獣とも格闘させて
戦いの流血と人間の死を見世物とする競技である
コロセウムの中で行われる剣闘士競技についても、
そのルーツはエトルリア人の文化にあると長い間考えられてきました。

・・・

そして、

古代ローマ人がエトルリア人から受け継いだ独特の技術や文化様式は、
こうした建築技術や競技文化だけではなく、

戦争に勝利した後の凱旋式などの様々な儀礼や儀式の様式なども
エトルリア人からローマ人へと受け継がれて行くことになるのですが、

こうした儀礼やしきたりの中には、

国家の指揮権を有する権力者たちが
行列を従えて街路を練り歩くときに、

付き従う護衛官たちがファスケスと呼ばれる
斧の周りに木の棒の束をくくりつけたものをかついで歩く
というものもありました。

このファスケスfasces)は、

のちに、

ムッソリーニヒトラーで悪名高い
ファシズムfascism結束主義全体主義)の語源となる
言葉でもあるのですが、

こうしたファシズムとファスケスとの関係については、
また次回詳しく考えてみたいと思います。

・・・

このシリーズの前回記事:ローマとエトルリアの地理的関係と政治的支配、ローマ人とエトルリア人の関係とは?①

このシリーズの次回記事:ファシズムの語源であるファスケスと「三本の矢」の教えとの関係とは?、ローマ人とエトルリア人の関係③

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