古代ギリシアの暗黒時代とは何か?①ボーダレス化による鉄器文化の流入と幾何学文様

前々回前回
二回にわたって考えたように、

地中海世界の幅広い地域から集まってきた来た
多様な民族から構成される「海の民」の侵攻活動によって

ミケーネ文明ヒッタイト帝国といった
東地中海に存在していた古代文明の大部分は
その滅亡を迎えることになります。

それでは、

こうした地中海における古代文明の滅亡後、
東地中海世界および古代ギリシア世界は、
どのような運命をたどることとなったのでしょうか?

今回は、古代ギリシア世界における
「海の民」侵攻後の暗黒時代の到来について
それがどのようなものであったのか考えていきたいと思います。

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古代ギリシアにおける暗黒時代とは何か?

紀元前1200年頃に始まった「海の民」の侵攻と、
その後の北方からのドーリア人の侵入により、

当時、ペロポネソス半島(ギリシャ本土の南端部)を中心に栄えていた
古代ギリシア人の一派アカイア人の文明である
ミケーネ文明は壊滅的な被害を受けて滅亡を迎えることとなり、

ミケーネ文明の滅亡後、およそ500年間にわたる

古代ギリシアの暗黒時代Greek Dark Ages
と呼ばれる時代が訪れることになります。

こうした古代ギリシアにおける暗黒時代とは、
具体的にどのような時代だったのでしょうか?

暗黒時代とは、

その「暗黒」(dark、暗い、知性に欠ける、未開の)
という言葉の響きが示す通り、

戦乱などによって社会の秩序が乱れ
道徳や文化が廃れて悪事や不安がはびこる時代
といったことを意味する概念であり、

その言葉が示す通り、

「海の民」の侵攻後の暗黒時代においては、

戦乱社会秩序の崩壊によって
古代ギリシア世界の人口は激減することとなり、
大規模な貯蔵庫を用いた都市の経済システムも崩壊していきます。

文化や芸術面においても、

巨石を用いた壮大な神殿や宮殿建築や、
鮮やかな彩色画の美術文化、

さらに、線文字Bと呼ばれる文字を用いた
文字文化の存在自体までもが失われてしまい、

それ以前の文明世界が有していた
知識や技術のほとんどが散逸してしまうことになるのです。

しかし、

古代ギリシアの暗黒時代には、

それまでにあった知識と技術が失われてしまう一方で、
別の面では、新たな技術の伝達と新たな文化の芽生えも
生じていくことになるので、

暗黒時代をそのまま
何ものも生み出さない不毛な時代というイメージで捉えるのは
必ずしも正しい解釈とは言えないと考えられます。

ボーダレス化による鉄器文化の流入

古代文明の崩壊は、それまで存在していた
既存の国境や境界線の消失を意味することにもなるので、

それぞれの文明によって守られてきた
独自の文化や技術の世界全体への流失を招くことにもつながります。

そうした古代文明の崩壊による
ボーダレス化の進展の中で、

それまでアナトリア地方(小アジア、現在のトルコ)の
ヒッタイト帝国によって、ほぼ独占的に占有されていた
鉄の製造技術がギリシア世界を含む世界全体へと伝播していくことになり、

古代ギリシアの暗黒時代においては、
それまでのミケーネ文明における青銅器の使用に代わって
鉄器の使用が普及していき、

溶接技術の進展により、より強力な鉄製武器や、
利便性の高い農工具、複雑な形を持った調度品などが
相次いで生産されていくことになるのです。

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幾何学文様とギリシア人の民族的特性

また、

土器の装飾様式においても、

それまでのミケーネ文明における
人や動物の自然の姿を滑らかな筆致でそのままに描き出そうとする
図柄とは大きく異なり、

同心円半円の組み合わせや、
等間隔に曲がりくねる曲線

さらには、卍型の図形やギリシア雷文meanderメアンダー)と呼ばれる
方形の渦巻き状の紋様が連続して並べられた図形などの

幾何学文様が新たに用いられるようになっていきます。

そして、

古代ギリシアの暗黒時代に生まれた
ギリシア式の幾何学文様は、

その後の古典期のギリシアにおける
神殿の柱などに施される建築装飾

ローマ時代フレスコ画fresco、漆喰を塗った壁に描く水彩画)や
モザイク画mosaic、石やタイルなどの小片を寄せ合わせて作る絵や模様)にも
その様式の一部が受け継がれていくことになります。

数学、なかでも特に幾何学の分野は、その後、

ピタゴラス(紀元前6世紀のギリシアの哲学者・数学者・宗教家)や
アルキメデス(紀元前3世紀のギリシアの数学者・物理学者)
などに代表されるように、

古代ギリシア人が得意とする
学問分野の一つとなっていきますが、

こうした幾何学文様と呼ばれる芸術様式の発展は、
その後の古代ギリシア世界の発展の方向を予見するかのような

ギリシア人の民族的特性をよく表している
芸術様式であるとも考えられるのです。

・・・

以上のように、

古代ギリシアの暗黒時代においては、

それ以前の古代文明の技術と知識が失われるという
負の面ばかりではなく、

鉄器文化の流入による新しい技術の発展や、
幾何学文様のようなギリシア人の民族的特性を象徴するような
新しい文化様式の誕生と進展なども見られるように、

それは、「暗黒」という言葉からそのままイメージされるような
良い点が何一つない、ひたすら不毛悲惨な時代というわけでは
決してなかったと考えられることになります。

それでは、

暗黒時代という概念自体が、
後世の人々の誤った先入観によってつくられた
まったくの的外れで、ナンセンスな表現なのか?というと、

やはり、そういうわけでもない
と考えられることになります。

ギリシアの暗黒時代には、
たとえそこに新しい技術の発展
新たな文化の芽生えが見られるとしても

そうしたこととはまったく別の側面において、
この時代が「暗黒」と呼ばれてしまう要素は
確かに存在すると考えられるのです。

・・・

関連シリーズの前回記事:海の民を構成する主要な十の民族の地理的関係、海の民の地中海世界への侵攻②

このシリーズの次回記事:古代ギリシアの暗黒時代とは何か?②500年間にわたる歴史の断絶と思想と人材の喪失

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