エトルリア人の起源とは?①陸路と海路の二つの移動ルートと三つの仮説

前回書いたように、

エトルリア人は、

古代イタリア世界において
ラテン人やローマ人に先駆けて
先進文明を築き上げた民族でありながら、

その詳しい民族系統も言語系統も不明な民族
でもあるわけですが、

言語系統から見た民族系統が不明であるということは、
逆に言うと、

その民族の起源について、様々な推測がなされ、
多彩でユニークな仮説が立てられていくということでもあります。

そして、

そうしたエトルリア人の起源についての諸説は、

大きく分けると、以下で述べるような
二つの移動ルートと一つの原住地説からなる
三つの仮説に分類することができると考えられます。

エトルリア人の起源となる二つの移動ルートと紀元前1200年頃の地中海世界

北方からアルプス山脈を越えるルート

エトルリア人の起源に関する三つの仮説のなかで、
一見最もあり得そうに見えて
その実、最も支持者が少ない仮説は、

北方のヨーロッパ大陸から陸路によって
イタリア半島へと到達したという仮説です。

北方からアルプス山脈を越えて
イタリア半島に侵入するというルートは、

ローマ人やラテン人の祖先である
イタリック人のイタリア半島への侵入ルート
と同様の経路であり、

この侵入経路は、のちに、
カルタゴのハンニバル
フン族の王アッティラ、そして、
西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン民族たちも通ることになる

イタリア半島に侵入する際の
最も一般的なルートにもあたります。

しかし、

エトルリア人は、造船技術に優れた海洋民族であり、
その文化も古代ギリシアやエジプトといった
東地中海の文化圏との共通点が多いことと、

当時、アルプス山脈の北、
ヨーロッパ大陸全域へとその勢力を広げつつあったはずの
ケルト人との間に文化的共通点があまり見られないことなどから、

本来、通常ルートであるはずの
北方からのアルプス越えという移動ルートへの
支持者が少なくなっていると考えられます。

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リュディアから東地中海を渡るルート

それに対して、

エトルリア人の起源に関する最も有力な仮説は、

リュディアから海路によって
イタリア半島西岸へと流れ着いたとする仮説です。

リュディアLydia)とは、

のちにその地で、東地中海世界における交易の利と領内での金の産出によって
古代オリエント一の巨万の富を築き上げることになる
クロイソス王で知られるリュディア王国が栄えることになる
小アジア北西部の一地方名です。

ちなみに、

クロイソス王の金銀財宝の山
とまではいかないまでも、

エトルリア人の本拠地であった
トスカナ地方や、ティレニア海に浮かぶエルバ島なども
鉄や銅、鉛といった鉱物資源が豊富に産出した地域であり、

エトルリア人は、
こうした豊富な地下資源と海上貿易を通じて
その経済的繁栄を謳歌した民族でもあります。

そして、エトルリア人は、

この小アジア北西部のリュディアから

エーゲ文明(紀元前3000年頃から紀元前1200年頃まで栄えた古代ギリシア最古の文明)末期を迎える古代ギリシア世界を西へと横断し、

東地中海を渡る長い船旅を経て、
イタリア半島北部西岸のトスカナ地方へと流れ着き、
この地に定着することとなったというのが

この仮説が示すエトルリア人の移動ルートとなります。

そして、この仮説は、

ギリシアやエジプトといった
東地中海諸国との海上貿易を通じて

富を増大させ、繁栄を誇った
エトルリア人の海洋民族としての性質ともよく合致することになるので、

彼らの民族の出自をよく説明する整合性の高い
最も有力な仮説となっていると考えられます。

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エトルリア人のイタリア原住地説

以上の二つの移動ルート、すなわち、
陸路海路からの
エトルリア人のイタリア半島への移住説に対して、

そもそも、エトルリア人は大規模な移住活動自体を行っておらず、

彼らは、もともと
イタリア半島北西部に住んでいた原住民から発展した民族である
と考える仮説もあります。

この仮説では、

トスカナ地方とティレニア海を
原住地とするエトルリア人は、

そのままこの地にとどまり続けて
じわじわとその勢力範囲を隣接地域へと拡大していったか、

または、

一時期、コルシカ島からシチリア島を経て
東地中海一帯を席巻するまでに、
その活動範囲を大きく広げるに至りますが、

その後、再び、
本拠地であるトスカナ地方およびティレニア海周辺へと
落ち着くようになったのではないかと考えられています。

・・・

以上のように、

エトルリア人の地理的な起源については、

北方からアルプス山脈を越える陸路
によってイタリアにたどり着いたという説、

小アジア北西部のリュディアから東地中海を渡る海路
によってイタリアに流れ着いたという説、そして、

エトルリア人はもともと
イタリアのトスカナ地方を原住地とする民族であったという説の

三つの仮説が考えられることになります。

そして、

この三つの仮説のうち、
比較的支持者が少ない北方からアルプス山脈を越える陸路の説を除いた
二つの仮説については、いずれも、

エトルリア人は、その移住過程か、または、
原住地からの展開過程において、

古代ギリシアやエジプトといった東地中海の先進文明地域から
一方的な影響を受けるだけの関係におさまっていたわけではなく、

エトルリア人の側からも積極的にこれらの先進地域へと進出し、
古代地中海世界と相互的な影響を及ぼし合っていたことを
示唆する内容となっています。

つまり、

エトルリア人は、

東地中海のエーゲ海とティレニア海の間を
船に乗って巡り行き、

古代地中海世界と古代イタリア世界という
二つの世界の間を行き来した民族であったということです。

また、

こうしたことから、
エトルリア人の起源については、

紀元前1200年前後
突如として連鎖的な民族移動を開始し、

古代ギリシアのエーゲ文明と、小アジアのヒッタイト帝国、そして、
エジプト文明という三つの古代文明を相次いで襲い、
古代地中海における文明世界を破壊し尽した

海の民」と呼ばれる民族系統未詳の民族との
関連性も指摘されることになります。

・・・

このシリーズの前回記事:
海洋民族エトルリア人の特徴と、トスカナ地方とティレニア海の語源

このシリーズの次回記事:
エトルリア人の起源とは?②古代ギリシアおよびエジプト文明との関連性

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