イタリア学派とエレア学派の関係とは?ピタゴラスの西遷からパルメニデスへ

紀元前6世紀後半、ピタゴラスにおいてはじまった
イタリア学派は、

その後、

紀元前5世紀前半、パルメニデスにはじまる
エレア学派へとつながっていくことになります。

この二つの学派は、
具体的にどのような関係にあるのでしょうか?

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イタリア学派とエレア学派の地理的関係とピタゴラスの西遷

下記の地図を見ればわかる通り、

イタリア学派エレア学派に対する関係は、
イオニア学派のミレトス学派に対する関係と同じように、

前者が後者を含むという包含関係にあるのですが、

そのイタリア学派は、

サモス島出身のピタゴラスが、
イタリア半島南端の都市クロトンへと移住したことにより
はじまります。

イタリア学派とエレア学派の地理的関係とピタゴラスの西遷の地図

サモス島は、
小アジア現在のトルコ南西部を対岸に臨む
東地中海の島ですが、

紀元前6世紀後半、オリエント全域において
アケメネス朝ペルシアの力が強まっていくと、

この地方もペルシア帝国による圧迫を強く受けるようになり、
最終的には、小アジアの大部分
ペルシア帝国の支配下に入ることになります。

そして、

アケメネス朝ペルシアによる
東方からの圧力が強まっていくなか、

それまで、長く故郷のサモス島で生活を営んでいた
ピタゴラスも、

紀元前530年頃、ペルシアの専制支配を逃れて
地中海を西へと渡ることを決意し、

イタリア半島南端クロトンへと
移住することになるのです。

そして、

ピタゴラスがクロトンを拠点として組織した
宗教組織とも学術集団とも言える
ピタゴラス教団ピタゴラス学派)の影響下において、

イタリア半島シチリア島などの
地中海中央部の諸地域で
新たな思潮が花開いていくことになります。

つまり、

サモス島からクロトンへの移住という
ピタゴラスの西遷によって、

小アジアのエーゲ海沿岸のイオニア地方を中心とする
東地中海から、

イタリア半島を中心とする
中央地中海へと

古代ギリシア哲学の中心地が
移動していったということです。

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ピタゴラスの数理哲学からパルメニデスの存在の哲学へ

そして、思想面においては、

イタリア学派も、エレア学派も共に、
現実の世界における自然の事物の探究よりも、
知性論理の探究の方を重視する思想系統に属するのですが、

イタリア学派においては、
数学などの論理形式一般について
広く探究が進められていったのに対して、

エレア学派においては、
その論理形式一般についての探究が
存在そのものの概念の探求へと集約していく形で
哲学思想が進展していくことになります。

イタリア学派のはじまりに位置する
ピタゴラスにおいては、

音楽や天体における数的比例関係などの
数学的調和の探究がその思想の中心にすえられていますが、

それに対して、

エレア学派においては、

存在そのものの概念についての問いの探究が
その哲学思想の中心にすえられることになります。

例えば、

エレア学派の創始者である
パルメニデスにおいて、

真なる存在である「あるもの」(to eon、ト・エオン)は、
不生不滅不変不動不分不断といった
性質を本質として持つものとして捉えられているように、

エレア学派においては、

存在するものとは、
それが、どのような条件性質を有することによって
存在していると言えるのか?

という

存在者が存在するための論理的条件
存在という概念自体の探求が進めれられていったということです。

・・・

以上のように、

ピタゴラスのイタリアへの西遷によって
イタリア学派がはじまり、

その後、

パルメニデスがエレアで新たな哲学を開始することによって、
イタリア学派の内部エレア学派の思想が展開していくことになります。

そして、

イタリア学派においては、

ピタゴラスにおける数理哲学などの数学的探究を含む
論理形式一般についての探究が進められていったのに対して、

エレア学派においては、

論理形式の探求の中でも、
特に、存在そのものについての概念の探究、すなわち、
存在の哲学へと探究の焦点が絞られていったという点に、

イタリア学派とエレア学派の
哲学思想上の差異があると考えられるのです。

・・・

関連記事①:「イオニア学派とイタリア学派の地理的関係と学説上の分類
関連記事②:「ソクラテス以前の哲学の四つの学派の学説分類と地理的関係のまとめ

哲学史の概要」のカテゴリーへ

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