メリッソスにおける実在の非物体性と唯心論哲学④スピノザの神即自然とメリッソスの真なる実在

前回の議論で考えたように、

メリッソスの哲学において、
完全にして全一なる真なる実在である
非物体的存在として「あるもの」(to eonト・エオン)は、

無限の空間の内に遍在する
精神的実在としての神と同一の存在として
捉えられることになります。

そして、これは、

スピノザの万有内在神論panentheismパンエンセイズム、あらゆる存在が神の内に存在するとする思想)における神の概念の原型となる思想として
捉えることもできるのです。

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スピノザの神即自然と永遠・無限なる実在

スピノザの万有内在神論は、

そく自然deus sive naturaデウス・スィウェ・ナトゥラ
という概念によって捉えられることも多いのですが、

この概念自体は、スピノザの主著『エチカ』の中で語られていて、
スピノザ自身の言葉としては、その前後も含めると、以下のような形で語られています。

「我々が神あるいは自然deus sive natura)と呼ぶ、あの永遠・無限なる実在
(スピノザ『エチカ』第四部)

つまり、

スピノザにおける神とは、

時間的に永遠にして、空間的に無限である
世界の総体としての自然と同一の存在として
捉えられているということです。

そして、

『エチカ』の冒頭部分においても、

神とは、絶対的で無限なる実在である。
言い換えれば、
それは、それぞれが永遠・無限の本質を表現する
無限に多くの属性から成る実体と解される。

(スピノザ『エチカ』第一部)

と語られているように、

スピノザにおける神とは、

無限に多くの属性性質能力を有する
欠けるところのない完全で絶対的な存在ということにもなります。

以上のように、

スピノザにおける神とは、

永遠の時間と無限の空間の内に遍在する
無限の属性、能力を有する、完全で絶対的な存在であり、

スピノザにおいて、
世界全体の実在は、基本的に、
同一の存在として捉えられていることになるのです。

メリッソスの真なる実在からスピノザの神の概念へ

そして、メリッソスの哲学においても、

真なる実在である「あるもの」(to eonト・エオン)は、

無限の空間の内に遍在する
完全にして全一なる存在として捉えられているので、

これは、スピノザにおける神の概念と
多くの点で一致する概念となっていると考えられます。

つまり、

メリッソスにおける真なる実在to eon)と
スピノザにおけるdeus)の概念は、

根本的に同一の思想を表す
二つの表現方式として捉えることができるということです。

厳密に言うと、

スピノザにおいて、
神は、無限に多くの属性を持つ存在として捉えられ、

その無限の属性の内には、
精神的属性(思惟)も物体的属性(延長)も共に含まれているので、

スピノザにおける神は、それ自体として本質的に
無限の空間の内に遍在するという物体的属性を有する存在として
捉えられているのに対して、

メリッソスにおいては、
物体的存在は可分性(より小さい部分へと分割できること)を有するがゆえに、
欠けることがない完全性を有することは不可能であるとされ、

完全性を有する真なる実在は、それ自体としては、物体的属性を持たない
非物体的存在として捉えられている点において、

両者の思想は異なっているとも考えられるのですが、

前々回の議論で詳しく考察した通り、

メリッソスにおいて、
非物体的存在としての真なる実在は、

それが、人間の視点から、空間概念の内に見いだされるときには、
無限に大きい空間の内に遍在する
空間的に無限時間的に永遠なる存在として捉えられるので、

結局、両者の思想は、

完全で絶対的な存在であり、無限の属性と能力を有し、
無限の空間永遠なる時間の内に遍在する神的な存在
すべての存在の根本に存在し、世界全体を包括しているという

根本的な思想においては合流することになると考えられるのです。

つまり、

スピノザの神の概念と、メリッソスの真なる実在は、
その思想の根本においては一致するということです。

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「自然あるいは「あるもの」」と「神あるいは自然」

ちなみに、

メリッソスの伝存する唯一の著作には、
自然あるいはあるもの」(to eonについて』という表題が付されていますが、

この表題の言葉自体も、スピノザの哲学における
神あるいは自然」(deus sive natura)という言葉と
どこか似た響きがあるようにも思えます。

メリッソスの「自然あるいはあるものto eon真なる実在)」という言葉と、
スピノザの「神あるいは自然」という言葉を並べて語るならば、

メリッソスの哲学において、
自然全体の存在の探求から、
あるもの」真なる実在)が神的な存在として捉え直されるのに対して、

スピノザの哲学においては、
神の概念の探求から世界全体の実在としての自然が見いだされるというように、

両者の思想は、
同一の真理が、正反対の探求の方向から捉えられたものと
考えることもできるでしょう。

つまり、

メリッソスは、
自然という世界全体の実在についての論理的洞察によって、

それが、「あるもの」(to eon真なる実在)という
永遠・無限で完全なる神的な存在と同一の存在であるという
真理に至ったのに対して、

スピノザは、
永遠・無限で絶対的な神の概念についての論理的洞察によって、

それが、世界の実在の総体としての自然と同一の存在であるという
真理に至ったということです。

・・・

以上のように、

メリッソスが、
世界における真なる実在の探求の方からスタートして、
無限で永遠なる神の概念に到達するのに対して、

スピノザは、
無限で永遠である神の概念の方からスタートして、
その内に、世界全体の実在を見いだすというように、

両者の思想は、出発点と到達点が真逆になった探究の経路を
たどることになるのですが、

それは、根本的には、神と世界についての同一の実相
世界とあらゆる存在の同一の根本的真理について語っていると考えられるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:
メリッソスにおける実在の非物体性と唯心論哲学③意識を持つ精神的実在としての神

このシリーズの次回記事:
メリッソスにおける実在の非物体性⑤すべての唯心論哲学の源流となる思想

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