大きさがない素粒子がつくる大きさのある物質の世界

素粒子が大きさを持たない理由」で書いたように、

すべての物質的存在の究極の構成単位である
素粒子は、大きさを持たない点粒子として捉えられますが、

それと同時に、

現実の世界における物体や物質の存在は、
空間において、一定の高さ、幅、奥行きを占める
大きさを持つものとして捉えられています。

つまり、

ミクロの素粒子の世界においては、
大きさがないはずのものが、

その素粒子が集まってつくられている
マクロの物体と物質の世界においては、いつの間にか
大きさがあるものとして捉えられるようになっている

ということです。

この両者の間のギャップは、
どのように説明することができるのでしょうか?

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点と線の骨格だけのカラッポの空虚な世界

素粒子がすべての物質的存在を構成している究極の単位である以上、

物質的存在の総体としての世界
そのすべてが素粒子によって構成されていることになるので、

素粒子が大きさを持たないならば、

本来、

その素粒子によって構成されている
世界全体も大きさを持たないということになります。

なぜならば、

ゼロに何を掛けてもゼロのままなので、

大きさがないものが、いくら数として多く集まっても、
その集合全体の大きさはやはりゼロのまま

ということになるからです。

たとえ、それがどんなに
日常における知覚や認識のあり方から
かけ離れているとしても、

素粒子の大きさがゼロであるならば、
原理的、論理必然的に、

世界全体の大きさの総和はゼロであり、

世界には大きさがない

ということになってしまうのです。

ところで、

この場合の「世界に大きさがない」ということの意味は、
より具体的には、どのような事態を指し示していると言えるのでしょうか?

素粒子が大きさがない点粒子であるといっても、

空間の中での運動や、
素粒子同士の結びつきといったものは存在するので、

そこには、

一定の高さ、幅、奥行きを持った
空間がその存在によって満たされているという意味での
空間的な大きさはないとはいえ、

空間を介した運動や関係といったものは、
素粒子の世界においても存在することになります。

したがって、

世界に大きさがない」ということの意味は、

世界の空間への広がり方が無限小に小さくて狭い
というよりは、

むしろ、

大きさを持たない点粒子同士の無数の関係だけが
広大な空間の中に網の目のように細かく広がっていて、

世界全体は、そうした
点粒子同士の関係性としての骨格はあっても、
その骨格の内を満たす実質は全くない

スカスカでカラッポな空虚な状態として存在している
というイメージで捉える方がより正確かもしれません。

それは、例えば、

仮に、宇宙全体の時間をピタリと止めて、
すべての素粒子の運動を停止させ、
それぞれの位置を一つに定めた状態

言わば、神の視点から、
世界全体の姿を俯瞰することができるとするならば、

その静止した世界の内には、

大きさや形を持った存在はいかなる意味でも見いだされることはなく、

カラッポの空虚な空間だけが果てしなく広がる
実体のない暗黒の世界だけが立ち現れることになる

といったイメージです。

いずれにせよ、

世界全体が、一定の厚みと内容を持った
中身の充実した確固たる存在として実在しているという認識は、

マクロの世界にいる我々の目だけに映る
束の間の幻に過ぎないということことになるのです。

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確率分布の雲としての物質の大きさ

しかし、それでもなお、

現実の世界において、我々の目に見えている物体や物質が、
点線に囲まれた幽霊、ゴーストのような空虚な存在ではなく、

確固たる質感と厚み、充実した内容を持った
大きさを持つ存在として認識されるのはなぜなのでしょうか?

それは、一つには、

大きさを持たない点粒子が運動するときの
空間における運動の軌跡から、
存在の大きさの外殻のようなものを捉えることができる

ということが挙げられます。

また、もう一つの視点としては、

量子力学においては、素粒子の位置自体が
確率分布として広がるのようなものとして捉えられるので、

その雲の広がり方全体が
一つの存在の大きさのようなものをつくっている

と考えることもできるでしょう。

したがって、

そうした点粒子の運動の軌跡や、

量子力学における
素粒子の位置の確率分布の雲の広がりとして

物体や物質の大きさという概念自体を捉え直すことは可能

ということになります。

・・・

以上のように、

ミクロの世界における
大きさを持たない素粒子は、

点粒子としての運動の軌跡や、
その位置の確率分布としての広がりによって、

マクロの世界における
大きさを持った物体物質をつくり上げている

と言えるのですが、

このような新しい捉え方で
物質的存在の概念を捉え直すとき、

少なくとも、

一般的な意味における大きさを持ったものとしての
物質的存在の概念は捨て去られてしまうことになり、

そういった日常的、一般的な意味における
物質的存在は、根源的な意味においては、
実体を持たない空虚な存在である

ということになってしまうのです。

・・・

このシリーズの前回記事:
素粒子が大きさを持たない点粒子である理由②哲学的論証

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素粒子の世界とゼノンの無限小の粒子、そして唯心論哲学へ

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