素粒子が大きさを持たない点粒子である理由②哲学的論証

前回の「素粒子が大きさを持たないことの量子力学による説明」では、
素粒子が大きさを持たない点粒子とされる理由について、
量子力学との整合性の観点から考えましたが、

世界を構成する究極の単位としての
素粒子が大きさを持たないことは、

哲学的議論に基づくと、
よりシンプルな形で説明することもできると考えられます。

それは、

以前に紹介した
ゼノンの存在の多数性論駁
の議論をそのまま踏襲する形の論証となるのですが、

今回は、

世界を構成する究極の単位」という概念自体を論理的に分析する
より普遍的な議論の形で、
その論理展開の流れを捉え直してみたいと思います。

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「究極の単位」という概念自体の分析

素粒子が「世界を構成する究極の単位」であるということの意味は、
以下のように捉えることができると考えられます。

まず、

この場合の「世界」とは、

日常生活において目で見ることができ、手で触れることができる現実の世界
そして、物理学が扱うような物体物質からなる世界

すなわち、物質的存在の総体としての世界

のことを意味していると考えられます。

そして、

「究極の単位」という概念における、

究極」とは、

物事を徹底的に推し進めていったときに到達する、
それ以上、突き詰めることはできない最終到達地点

のことを意味し、

単位」とは、

物事が成立する際に基本となる構成要素

のことを意味します。

また、ここで言う「物事」とは、

先に定義した「世界」、すなわち、
物質的存在の総体としての世界のことを指すことになるので、

ここまでのことを考え合わせると、

世界を構成する究極の単位」とは、

物質的存在の総体としての世界の探究を
徹底的に推し進めていったときに到達する最終到達地点である
物質的存在の最も基本となる構成要素

のことを意味することになります。

ところで、

この場合の「徹底的に推し進める」とは、
何をどのように推し進めていく探究のことを意味しているのでしょうか?

それは、例えば、

すべての目に見る物体
原子という小さな構成単位によって形づくられていることが明らかとなり、

次に、その原子も、原子核電子という
より小さな部分から構成されていることが、

その次には、原子核も陽子中性子という
より小さな部分から構成されていることが明らかとなっていったという

物質的存在の構成要素についての
物理学の進展の歴史を見ればわかる通り、

物体をより大きさが小さい部分へと分けていき、
物質的存在における最も根源的で最も小さな構成要素
見つけ出していく探究のことを意味していると考えられます。

したがって、

以上のことを考え合わせると、

世界を構成する究極の単位」とは、

物質的存在の総体としての世界を
徹底的により大きさが小さい部分へと分割していったときに到達する
最終到達地点である
物質的存在の最も根源的で最も小さな構成要素

のことを意味することになるのです。

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素粒子は論理必然的に大きさを持たない

物質的存在の総体としての世界を
より小さな部分へと徹底的に分割していく探究は、

より小さい部分、さらに小さな構成要素へと
どんどん続いていくことになりますが、

その際限なく続く分割に終止符が打たれ、
物質的存在の最も根源的で最も小さな構成要素
へと到達することができるとするならば、

それは、

その構成要素が無限小の収束値へと至った時、

すなわち、

その構成要素が大きさを全く持たない状態へと至った時
ということになります。

なぜならば、

大きさを持つものは、それがたとえどんなに微小な大きさであるとしても、
それが一定の大きさを持つ以上、

一定の高さ奥行きをもった空間
その存在によって満たされていることになり、

その高さや幅、奥行きといった長さが、
さらに短い長さの部分へと分割することが可能であるのと同様に、

その微小な大きさを、さらに小さな大きさの部分へと分割することは、
少なくても概念上は可能である

ということになるからです。

つまり、

一定の大きさを持つということは、
原理的に、それをより小さな部分へと分割していくことが
どこまでも可能となってしまうので、

大きさを持つ存在は、それがたとえどんなに小さな大きさであろうと、
それ以上の分割が不可能な
物質的存在の最も根源的で最も小さな構成要素とはなり得ない

ということです。

したがって、

素粒子が、

世界を構成する究極の単位」、すなわち、

物質的存在の総体としての世界を
徹底的に分割していったときに到達する最終到達地点である
最も根源的で最も小さな構成要素であるとするならば、

それは、必然的に
大きさを全く持たない状態のものでなければならない

という結論が帰着することになるのです。

・・・

以上のように、

素粒子が世界を構成する究極の単位であるならば、
それは、論理必然的に
大きさを持たない点粒子でなければならない

ということが、存在の大きさについての
哲学的論証からも帰着することになるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:
素粒子が大きさを持たない点粒子である理由①量子力学による説明

数学・自然科学・統計学」のカテゴリーへ

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