素粒子が大きさを持たない点粒子である理由①量子力学による説明

現代における、世界についての一般的な理解では、

人間の目に見えるすべての存在、すなわち、物質的存在は、
原子という基本的構成単位から構成されていることになり、

その原子はさらに、原子核電子によって、

原子核も陽子中性子という
より小さな単位から構成されていて、

その陽子や中性子も、
クォークといった素粒子によって構成されていることになります。

そして、

現代物理学においては、

この素粒子こそが、それ以上小さな部分へと分割することが不可能な
存在を構成する究極の単位とされているのです。

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大きさを全く持たない点粒子としての素粒子の概念

そして、

現在物理学の主流派である
標準理論Standard Model、標準モデル)では、

存在の究極の単位である素粒子は、
大きさを全く持たない

点粒子point particle、空間的広がりを一切持たない大きさゼロの粒子)

とされています。

素粒子が大きさをも持たないとされる理由は、

仮に大きさがあったとしても小さすぎて測ることができないので
大きさがないものとして扱った方が都合がいいから

とか、

単にその方が計算がしやすいから

といった理由もないこともないのですが、
そういった便宜上の理由は除くとして、

素粒子が大きさを持たないとされる
本質的な理由はどこにあると言えるのでしょうか?

今回は、素粒子が大きさを持たない点粒子である理由について、

物理学という学問の範囲内で、特に、
量子力学との整合性という観点から考えてみたいと思います。

素粒子における上向きスピンと下向きスピン

一般相対性理論と共に、現代物理学の根幹をなす理論である
量子力学においては、

通常の日常的なマクロの世界においてはあり得ない奇妙な現象が
頻繁に起こることが原理的に知られていますが、

そうした量子力学における
奇妙で不可解な現象の一つに、

量子重ね合わせという現象があります。

議論の本題に入る前に、その議論の前提となる
素粒子の性質について説明すると以下のようになります。

素粒子には、
スピンspin)と呼ばれる固有の運動量があり、

それは、一般的な物体で言うと、
天体の自転運動のような運動にあたるので、
回転を意味するスピンという言葉で呼ばれていますが、

その素粒子のスピンの状態には、

上向きスピン」と「下向きスピン」という
二つの状態があると考えられています。

素粒子には大きさがないという前提に立つと、

そもそも、

大きさがないものについて、通常の意味での
球体の自転運動と言ったものを考えることはできず、

通常の球体について考える時と同じように、
それがどちらの方向に向かって回転しているのか?
という問いを立てること自体がナンセンスとも言えるのですが、

言わば、

素粒子における相反する二つの存在の状態について、
両者を分類し、ラベル付けて示すような意味において、

上向きスピン」と「下向きスピン」という
二つの表現が使われていると考えられます。

量子の重ね合わせと相反する二つの存在状態の同時保持

そして、

量子力学においては、

素粒子は、観測が行われるまでは
そのスピンが上向きなのか下向きなのかが不確定な状態にありますが、

いったん観測が行われると、その不確定な状態が解消され、
上向きスピン状態か、下向きスピン状態かの
いずれかの存在の状態に確定した状態として観測されることになりますが、

このことは、

観測後には、上向きか下向きかのいずれか一つスピン状態に確定する素粒子が、

観測以前には、不確定な状態として、上向きと下向きという
二つのスピンの状態の両方の状態にあったということを意味します。

つまり、

量子力学においては、観測以前の状態では、

一つの素粒子が、

上記の「上向きスピン」と「下向きスピン」という
相反する二つの存在の状態を同時に保持している

ということになり、

この一つの素粒子における二つの存在状態の同時存在、すなわち、
二つの存在の状態の重ね合わせが、

量子重ね合わせsuperposition

と呼ばれる現象ということになります。

量子における二つのスピン状態の重ね合わせ

数多くの実験結果からも、
素粒子が観測の前には「上向きスピン」と「下向きスピン」という
二つの存在の状態を同時に持っていて、

観察後にそれが一つの状態、「上向き」か「下向き」の
どちらかに定まるということが実証されているので、

観測前に、素粒子のスピン状態が不確定であるというのは、

単に、観測者にとって情報が不足しているので、
素粒子のスピン状態が分からないという

観測者の知識不足として説明できるものではありません。

そして、それは、

観測以前には、上向きスピンと下向きスピンの
混合状態であったものが、

観測後には、その混合状態から派生して
一つのスピン状態へと定まったと考えるわけにもいきません。

なぜならば、

上図の通り、量子の重ね合わせ状態とは、

上向きスピン状態」と「下向きスピン状態」が
同一の素粒子において同時存在している状態なので、

これを、上向きスピンと下向きスピンの混合状態としてしまうと、

上向きにスピンする動きと下向きにスピンする動きがぶつかり合って、
互いのスピンの運動が相殺されてしまい、
素粒子のスピン運動自体が消えてしまうことになると考えられるからです。

素粒子のスピンには、
アクセルやブレーキの機能があるわけではないので、

止まった状態から
新たにスピンを開始することもできませんし、

急ブレーキをかけて
反対向きに方向転換するわけにもいかないので、

上向きスピンと下向きスピンが混ぜ合わさったものとして
量子の重ね合わせ状態を捉えることは不可能ということです。

したがって、

素粒子は、観測以前においても、

はじめからずっと
同じ向きに回り続けていたはずなのですが、

その向きが、観測以前にはどちら向きかが非確定であり、
その後にどちらの向きにもなりうる状態にあるということは、

観測以前の量子の重ね合わせ状態においては、

「上向きスピン状態」と「下向きスピン状態」という
相反する二つの存在状態の両者が、混合のない純粋な状態のまま、

そのまま二つ同時に保持されているとしか考えることができない

ということになるのです。

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素粒子の大きさと量子力学との整合性

以上のように、

量子の重ね合わせ状態においては、

同じ位置にある同一の素粒子が、同時に
二つの相反する存在状態を合わせ持つことになりますが、

このことは、

同じ位置に、二つの相異なる存在
同時に存在するという現象を許容するということを意味します。

それは、例えば、

同じテーブルの上の全く同じ位置に、
リンゴミカンという相異なる存在が同時に存在する

と言っているようなものであり、

しかも、

量子の重ね合わせ状態の比喩として忠実に再現するならば、

テーブルの上の同じ場所に位置するリンゴとミカンは、
遺伝子組み換えなどで合成されたような
リンゴとミカンが混ざり合ったキメラのような存在ではなく、

純粋な形としてのリンゴと、純粋な形としてのミカンが、
そのまま重なり合う形で、同時に同じ場所に位置する

ということになるのですが、

これは、日常的な理解においては、
大きな矛盾をはらんだ現象ということになってしまいます。

このように、

量子重ね合わせsuperposition)とは、まさに、

super~を超える)」+「position位置)」

という単語自体の意味が示す通り、
日常的な位置概念超越する現象なのですが、

このとき、

素粒子に、通常の物質的存在のように
大きさがあるとすると、

上記のリンゴとミカンの重ね合わせの例のように、
大きな矛盾が生じてしまうことになるのです。

なぜならば、

大きさを持ち、したがって、一定の高さ、幅、奥行きによって形成される
一定の形を持つことになる通常の物質的存在においては、それが、

二つの相反する形運動状態として
同時に、同一の位置に存在することは、
論理的矛盾をきたすことになり、

そのようなものは、この世界に存在できない
ということになってしまうからです。

例えば、

ある存在が、であると同時に四角であるということや、

ある惑星左回りに自転しつつ、同時に右回りに自転するといったことが
あり得ないようにです。

ところが、

そうした通常の大きさを持つ物質的存在においては
論理的矛盾をきたすはずの現象が、

素粒子という存在の究極の単位においては
成立しているということは、

その前提条件として、それは、

大きさを持たないことが必要となるということになります。

つまり、

それ自身が大きさを持たない存在にとっては、

右回り左回り上向き下向きといった概念も

通常の大きさと形を持った物質的存在
とは全く異なる形で適用されることになるので、

そのような存在においては、
量子重ね合わせsuperposition)という
日常的な位置概念超越する現象も成立しうることになる

ということです。

そして、そもそも、

量子重ね合わせとは、
量子力学における基本的な性質をなす
学問の前提となる概念なので、

現代物理学の根幹をなす理論である
量子力学が成立するためには、

量子重ね合わせという
同じ位置における、相異なる存在の同時存在
可能となることが必要であり、

そのためには、存在の究極の単位である
素粒子大きさを持たない存在であることが必要である

という意味において、

現代物理学と量子力学との整合性の観点から、

素粒子は、必然的に大きさを持たない存在でなければならない
と考えられるのです。

・・・

このシリーズの次回記事:
素粒子が大きさを持たない点粒子である理由②哲学的論証

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