パルメニデスの哲学の概要

パルメニデスParmenides、前515年頃~前450年頃)は、

紀元前5世紀前半古代ギリシアの哲学者で,

南イタリア西岸のギリシア人植民都市
エレアElea)の出身です。

弟子のゼノンもエレア出身で、
生涯、この地を拠点に活動を続けたこともあり、

パルメニデスの思想を受け継ぎ、

存在の一元論や
存在の多数性や運動の否定などを唱えた

エレアのゼノン、サモスのメリッソスなどの哲学者は、

エレア学派と呼ばれ、

パルメニデスは、そのエレア学派の実質的な
始祖ともされています。

パルメニデスの生没年の推定については、
諸説あるのですが、

のちに、プラトンがその対話篇『パルメニデス』において、
若きソクラテス晩年のパルメニデスとの会談の様子を描いていて、

その会談内容はプラトンによる創作としても、
ソクラテスが20歳頃、パルメニデスが65歳頃という
二人の年齢関係自体はおおよそ正しいとすると、

ソクラテスとパルメニデスの年齢差は45歳くらいということになり、
ソクラテスの生年である前470年(または前469年)から45年ほどさかのぼった
前515年頃がパルメニデスの生年ということになります。

スポンサーリンク

パルメニデスの哲学の概要

パルメニデスの哲学は、

後世に伝えられている唯一の著作である

六脚韻hexametrosヘクサメトロス6つ(hexaの特定の数の音節で構成される韻脚からなる詩の形)の

やや長編の叙事詩によって語られていて、

その叙事詩は、

序歌と、
真理aletheiaアレーテイア)の道、
思惑doxaドクサ思いなし感覚知)の道

三部構成となっています。

「序歌」では、

太陽の使者たちが率いる馬車によって、若者が、
真理の女神の元へと導かれ、
これから学んでいくべき道の姿が示され、

真理の道」では、

真理に至るための哲学的探究が歩むべき
正しい道筋が示されていくのに対して、

思惑の道」では、

)とという二つの力の混在均衡を原理とする
それまでのミレトス学派やイオニア学派などの

自然哲学者たちの思想を混ぜ合わせ、
それらをパルメニデス流にまとめたような世界観が描かれていくことになります。

そして、

この叙事詩の主要部分である
真理の道」において、論理的に考えられる道として、

「「ある」そして「あらぬはあらぬ」という道」と、

「「あらぬ」そして「あらぬが必然」という道」

という二つの道が示されます。

ここでパルメニデスが言っている

「ある」や「あらぬ」という概念が具体的に何を指しているのか?
それは、存在形式(~がある)なのか、述定形式(~である)なのか?

ということについては、
多少、議論が分かれるところでもあるのですが、

その後の叙事詩の流れ全体においては、

ある」(estiエスティ、英語のbe動詞に相当)は、

基本的には、存在形式の意味で用いられていて、

その名詞形である
あるもの」(to eonト・エオン)も、

存在そのもの

といった意味で用いられているとと考えられます。

そして、

論理的に考えられる二つの道のうちの一方である、

「あらぬ」の道は、

それが、「あらぬもの」=存在しないもの
を探究する道である以上、

存在しないものについては、
知ることも語ることもできないので、

探究が不可能な偽りの道として排除されることになります。

そのうえで、

「あるもの(ト・エオン)」、すなわち、存在そのものを探究する
あるの道だけが、

真理に至るための哲学的探究が歩むべき唯一の道である
真理の道として選択されることになるのです。

一方、「真理の道」の後で語られている

三つ目の探求の道とも言える
思惑の道」は、

それが、現実の世界や自然現象を
感覚に基づいて探究することによって、
物事の表面上の生成変化に惑わされる道なので、

その生成変化において、
ある時には、あったものが、次の時にはなくなり
前にはなかったものが、後にはあるようになる

というように、

ある」と「あらぬ」が混在する、
混乱したさまよえる道であるとして、

真理の探究には不適切な不確かな道
とされることになります。

スポンサーリンク

つまり、

パルメニデスは、

感覚や知覚に基づいて、
現実の世界や自然のあり方などを研究するあらゆる探究は、
どこまで行っても、不確かなドクサ思いなし感覚知)に過ぎないので、

真理に至るための哲学的探究は、

感覚aisthesisアイステーシス)ではなく、

知性nousヌースのみによって

なされるべきだと考えたということです。

そして、

そうした真理に至るための哲学的探究の対象である存在そのもの

「あるもの(ト・エオン)」とは何か?
ということについて、

パルメニデスは、それが以下のようなものであると語っています。

あるものは、
不生にして不滅であり、全体にして一様であり、
完全にして揺るぐことのない終わりなきものである。

それはかつてあったこともなく、
いずれあるであろうこともない。
なぜならば、それは今あるのだから。

一挙に全体として、
一つにつながり合うものとして。

(パルメニデス・断片8)

つまり、

「あるもの(ト・エオン)」とは、

不生不滅不変不動不分不断

にして、

全体が一様なものとして完結し、
時を超えて自己充足している

完全なるもの

であるということです。

そして、

パルメニデスは、

そのような完全にして、
あらゆる存在、あらゆる認識のなかで、
もっとも確実で真なる概念である

あるものト・エオン)」、すなわち、
存在そのものの概念に基づいたうえで、

知性ヌース)を正しく働かせていくことによって、

哲学における真理の探究
が進められるべきだと考えたのです。

・・・

哲学史の概要」のカテゴリーへ

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ