ト・アペイロン(無限定のもの)とは何か?

アナクシマンドロスの哲学の概要」で書いたように、

アナクシマンドロスは、

特定の性質をもった具体物は、

それと正反対の性質をもった事物を、
生み出すことができないので、

万物の始原は、

特定の性質をもった具体的事物ではない、
無限で、無規定なもの、すなわち、

ト・アペイロンto apeiron無限定のもの)であると考えました。

つまり、

万物の始原である
ト・アペイロンとは、

現実に存在するあらゆるものを、
においても大きさにおいても凌駕する

無限なる存在であり、

かつ、

すべての存在の属性が、そこにおいて存立することが可能となる、
においても無限の可能性をもった、

無規定の存在である、

ということです。

このような定義に基づいた
ト・アペイロンとは、

人間の尺度によっては、
そのにおいても、においても、
計り知ることができない

言わば、

宇宙に遍く広がる

ダークマターdark matter暗黒物質、宇宙における質量の大半を占めながら、その存在自体を観測すことはできない、現代物理学における仮説上の物質)

のようなイメージの、

深淵で不可解な存在ということになります。

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何ものでもないものから、あらゆる存在が生まれてくる?

そして、

この深淵で計り知れない存在である、
ト・アペイロンについて、

アナクシマンドロスは、それが以下のような意味で
万物の始原となっていると語っています。

存在するものにとって、
生成がそれからなされる源となるもの

そのものへの消滅もまた、
必然にしたがってなされる

(アナクシマンドロス・断片1)

つまり、

ト・アペイロンは、

この世界に存在するあらゆるもののとなっている
根源的存在であり、

すべての存在は、
無限定のものであるト・アペイロンから生成し

いずれ、宇宙が終焉を迎えるときには、
そのすべてが、再び、ト・アペイロンへと還っていく

ということです。

そして、

このことを、
先ほど述べたト・アペイロンの定義と考え合わせると、

それ自身は無規定であるト・アペイロンから、
様々な属性を持ったあらゆる存在が生まれてくる、

ということにもなります。

つまり、

それ自身は、いかなる性質による規定も受けていない、
何ものでもないものから

様々な性質を持った、
あらゆる存在が生まれてくるということです。

しかし、

この、あらゆる存在を生み出すものが
それ自身は何ものでもなく無規定なものであるというのは、

少し奇妙な議論のようにも思えます。

なぜならば、

無規定ということは、
それ自身は、何の属性も持っていないということなので、

何の属性も持たないものから、
様々な属性を持ったあらゆる存在が生じてくるというのは、

一見すると、
論理的に矛盾しているようにも思えるからです。

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無限に広がる真っ白なキャンバス

このことの意味を正確に捉えるためには、

そもそも、

あらゆるものになる無限の可能性があるとは、
具体的にどのような状態なのかということを
考えておく必要があります。

無限の可能性を持っている、すなわち、

可能性として
あらゆる属性をもっているということは、

それ自身は、いまだ、
いかなる属性の規定によっても束縛されておらず、
本性的に自由であるということを意味します。

そして、

属性の規定に束縛されずに自由である、ということは、

それ自身の現在の姿は、いかなる規定も制限も受けていない
まっさらな状態、つまり、

それ自体としては、
無制限無規定な状態ということになるのです。

そういう意味では、

ト・アペイロンとは、

言わば、

目の前に無限に広がる
真っ白なキャンバス

ということにるでしょう。

新たに絵を描こうとする時に、
そのキャンバスにすでに別の色が塗られていたのでは、
自分の好きな絵を自由に描いていくことはできません。

例えば、

これから、
炎の絵を描こうとするときに、

キャンバスの画面全体が、
予め水の青色一色に染められていては、

そこに、真っ赤に燃える炎を描くことはできません。

のような特定の具体的事物
すべての存在を生み出す始原になりえない
というのは、つまりそういうわけです。

このように、

どんなものにもなれる
無限の可能性を持つということは、

同時に、

それ自身は、いまだ、
何ものでもない無規定な状態にあるということを意味します。

ト・アペイロン
すべての存在の始原である以上、

それは、
そこから生み出されるあらゆる存在の
あらゆる属性可能性として持っています。

しかし、

あらゆる属性をもった存在へと
分かれ出でるあらゆる可能性をもった存在であるためには、

現実の姿としてのそれ自身は、
真っ白なキャンバスのように、

いまだ何ものにも染まっていない
純粋で無規定な存在でなくてはならないということになるのです。

真っ黒でかつ真っ白な存在

このように、

ト・アペイロンからは、

すべての存在の根源にある、

人知を超えた深淵で不可解な
暗黒の存在というイメージ、と共に、

純粋で無垢な何ものにも染まっていない
真っ白な存在というイメージも出てきます。

そして、

ト・アペイロンとは、

可能性としては、あらゆる属性を持ったあらゆる存在へとなりうる、
無限の属性を持った存在でありながら、

その無限の可能性を有するがゆえに、

現実の姿としてのそれ自身は、
いかなる属性も持っていないという意味で、

無限にして無規定な、
無限定の存在

ということになるのです。

・・・

アナクシマンドロスの哲学の概要

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